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ブラジル滞在記

東京・新宿区、渋谷区で教室活動するカポエイラ・テンポ(カポエラ)のみんなが書くブログ。 練習やイベント情報、ブラジル日記やメディア裏話も!
2009/05/23(土)
トニーが朝からそわそわしている。

「今日は、母さんの買い物につきあわなくちゃいけない。」

丸い目をさらに丸くして、買い物の大変さと必要性を主張する。それをひととおり聞いたあと、私は私で、トニーに街の中心行きのバスの乗り方を確認した。

午前中、街を散歩し、昼過ぎにアカデミーアに戻る。鉄の扉が閉まったままになっている。ということは、きっと、まだトニーは帰ってきていない。近くのスーパーでガラナを買って、石のベンチに座った。丁寧にストローで飲む。甘い炭酸飲料を飲んでも、お腹が一杯にならないのは、この街が要求するエネルギー消費量とのバランスだろうか。ふと振り返ると背後に珍しくタクシーが止まろうとしている。左側の席に座った運転手がニヤニヤと私のほうを見ているので、気味悪く思ったけれど、次の瞬間、車が止まって助手席からトニーが降りてきた。これまた、珍しい光景だ。

「何してた?昼飯は食べたか?」

と、聞きながら、車の後ろのトランクを開けた。トランクのなかには、黄色いスーパーの袋が、いくつもいくつも入っている。底なしかと思うほどたくさんの袋で埋め尽くされている。長い時間をかけて、食料品やら、日用品やらが入ったすべての袋を取り出して、アカデミーアのなかに入れる。

「今日は、ある子供の生徒の誕生日なんだ。だから、誕生日のホーダの準備をしないと。その子の家は、お金がなくって、誕生日会ができないから、これでケーキをつくってもらうんだ。誰にって?近所のお母さんだよ。」

ポルトガル語で、ケーキは、「ボロ」という。私が一番初めに憶えた言葉だったような気がする。その響きに、ケーキという言葉が醸し出す、うきうき感がなくて、可笑しかった。毎週木曜日は、アカデミーアにカポエィリスタが集まる「ホーダ」の日だ。「ホーダ(RODA)」とは、ポルトガル語で円という意味。円になって、カポエィラをする。オンジーナに到着してからというもの、人に会うたびに、挨拶のあと、「ホーダに来るか?」という質問を何回かされたような、そんな気がする。

夕方になると、オレンジの光の下に何人も白いカウサ(ズボン)のカポエィリスタが集まってくる。ただでも、人の往来が頻繁にある場所なのに、今日は子供から大人までやけににぎやかだ。アカデミーアの前に立つ、カポエィリスタたちは、同じユニフォームを着ていることを確認すると、名前を言って握手を促す。何となく、日本から生徒が来るらしいという噂はもう広まっていたようだ。

「えすけるじーにゃあー」

と、子供たちが塊になって近寄ってきて、私の肩にだらりと寄りかかる。昨日はもじもじしていた子供も、今ではごろごろと甘えてくる変わり身の早さが可笑しい。

子供の固まりの傍らで、フラカォンとヴェフメーリョが、近所の人たちと話しをしている。ウーゴがまたぎりぎりに到着する。上級者のドラガォンが握手を求める。他団体のカポエィリスタがアカデミーアに入っていく。練習のときは、帯をしないことが多かったアカラジェが、今日はちゃんと帯をしている。

「Vamos. そろそろ、始るぞ。」

という、トニーの甲高い声。生徒たちがアカデミーアの中に吸い込まれていく。アカデミーアの正面の壁に掲げてあるメストゥレ・ビンバの肖像の前で、帯のレベル順に並んで長い列を作って、ホーダの始まりを待つ。待っている間、ちょっとした準備運動のつもりで、私が伸脚をすると、子供が駆け寄ってきて目の前で真似をする。三角定規が三つ。新しい技だと思っているのか、えらく楽しそうだ。

ホーダは、ビリンバウの音とともに始まる。そして、パンデイロのリズム、クアドラというホーダの始まりを象徴する歌、そしてクアドラに呼応するコーラスという順番で、音とリズムが一層ずつ重なり合っていく。そして、最後にひときわ大きなコーラスの歌声と、手拍子が響き渡る。その瞬間、大勢の存在を感じて身震いする。

それぞれが相手の動きを図りあいながら、ホーダの運動全体にエンジンを入れる。その日は、どんな人が来ていて、どんな空気が漂っているのか、人々が作る空気を身体に馴染ませる。カポエィラは円で成り立っている。蹴り、避けの基本の動きも小さな円運動の一つの単位だ。相手と組み合うことによって、円運動が二倍になって歯車のように呼応しあう。新たに円運動に加わろうという人は、ホーダの中の円運動の邪魔にならないように、鮮やかに相手を代わる。逆に、円の外にはじき出された人は、外円を構成する要因になって手拍子をする。ときどき、ジョーゴをしていると、相手と会話をしているような感覚を憶える。「私は始めたばっかりだから、動くだけでいっぱい、いっぱいよ。」、「こっちに行くから、あっちに行ってよ。」、「さっきは、足が当たってごめんね。」とか。身体の距離や、動きはじめの仕草や、目つきを見て、その人の動きを読む。読んで、答える。その繰り返し。プロフェッソールの動きには、さらに導きがある。彼らの動きは常に傍らにぽっかりと道ができていて、「こちらにいくがよい」と言葉で言わずして、身体で表している。そうやって、身体の持って行き方を学んでいく。久しぶりの人とは、「最近、元気?」と言う。気持ちの通った会話が出来た後は、その人のことをもっと知ったような気持ちになる。

円運動は、ホーダが終わる瞬間まで続く。円は時間が経つに連れて温まり、運動のスピードが速まっていくとともに、高揚していく。まるで代謝の運動が目の前で起こっているようだ。次々と、新しい人々が割って入っては、片方が出て、それを繰り返しながら、人間のエネルギーだけで成長していく。ホーダが終わる瞬間は、「ぱちん」と、何かがはじけたようなそんな音がするような気がする。円が高揚してくると、次第に上級者は、相手を倒すカポエィラをはじめる。円運動を止めない程度の力加減と華麗さで相手を倒し、倒されるほうの人も、正しい倒され方で、次の動きにつなげていく。その戦いの要素が、円運動にピリリとした緊張感を与えていく。
円が温まったころ、私が子供とジョーゴをしようとすると、ヴェフメーリョが割って入ってきた。彼の気配を読む暇もなく、カベサーダ(頭突き)を受け、起き上がりながらも、どんどん距離が詰められてくるのを感じる。次の瞬間、彼の両足が目の前で、空中に飛んだのを見たと同時に、私の身体もそれより高く空中に飛んだ。チゾーラ(両足で相手の身体を挟み込む技)を食らったのだ。自分の身体がこんなに軽やかに飛ばされうることに驚きつつ、空中に浮いていると、誰かが私の頭を両手でキャッチしているのを感じた。そして、外円のホーダを構成する誰かの足元にふわりと倒れた。「ヴェフメーリョ!」という声が聞こえた。一メートルぐらい飛ばされていた。大きな男と小さな女の自分のどうしようもない力の不均衡に無力さを感じつつも、「ああ、私はここで安心して、カポエィラができる。」と思った。誤って、早く地面に手をつきすぎたので、ひじが痛む。立ち上がろうとしたけれど、すぐにホーダが止められて、仕切りなおされた。しょうがなく、ホーダを出ると、ヴェフメーリョがハイタッチをした。このホーダの表面は信頼してカポエィラをさせてくれる人々で覆われている。

ホーダを動かす原動力は歌と音楽である。バイーアに関するものから、カポエィラを賛辞する歌、そしてホーダのなかで、今まさに起こっていることを表現する歌など、歌詞に多くの物語が盛り込まれている。例えば、新しい人がホーダのなかに入ってきたことを伝える歌とか、まさに目の前で誰かが転んだことを表現する歌とか、女性だけのホーダを讃える歌とか。様々だ。高揚させる歌もあれば、カームダウンさせる歌もある。
歌の意味をわかりながら歌うと、ホーダの空気がぐっと豊かになる。日本でやっているときは感じにくかったけれど、ホーダのなかには二重の会話があるのだ。一つは動きのキャッチボールと、もう一つは歌が投げかけるメッセージ。歌い手も、コーラスを返すほうも、歌の意味を理解して、意味で投げ返す。フラカォンの表現力には脱帽する。カポエィリスタ一人ひとりの顔を見ながら、手振りと表情で歌が持っているメッセージを伝える。素朴な歌詞の繰り返しなのに、フラカォンの歌は豊かだ。ホーダ全体が演劇のような絶大な表現力で固められている。そういえば、ハワイのフラダンスも、もともとは、メッセージを伝える手段の一つで、ダンスではなかった。歌詞には意味がある。その意味をよりよく伝えるために、身体の動きが伴ってきた、それがフラダンスのはじまりだということを誰かから聞いたことがある。きっと、カポエィラの歌も同じなのだろう。

高揚を極めた円運動は、いつかはじける。緊張と緩和。はじけた後の円運動の脱力感を拭い去るように続くのは、サンバだ。歌の表現力はサンバの表現まで引き継がれて、ついに身体の動きと、音楽が合体する。ホーダの終わりの一瞬の沈黙のあと、始まりの気配を感じると、人々はホーダの大きさを狭める。サンバのリズムと歌が始ると同時に、男の子と女の子の子供が、スイッチが入ったかのように、必死で足をばたばたし始める。正確なサンバのステップ!
サンバは男女が対になって踊る。それぞれが、役を演じるようにサンバの円のなかに入っていくのだ。ここでもフラカォンの絶大な存在感。客席で見ている若い女性の手を引きながら、いそいそと円の中に入っていく、彼の表情とアドリブ。数分前まで、戦いの前線にいたような力んだ表情が嘘のようにリズムに蕩けている。芝居を見ているかのように、面白くて自然と笑みがこぼれてくるし、ドキドキする。踊る人の喜びに見ているほうまで、楽しい気分になる。

ぽかぽかと暖かくなったところで、サンバがパタンと終わる。そのあと、約束どおり、誕生日の13歳の男の子を囲んで、ケーキがやってきて、それからサンバのリズムに乗った誕生日の歌。どろりとしたチョコレートのケーキ。丸いケーキは、ホーダの余韻にいささか、とろけているようだった。


帰りの日は雨だった。
灰色の空と、灰色の海。空と海の色彩のコントラストは、なくなってしまった。

「空港に行くまでの時間、海に行ってくるといい。海のなかで沈んで、ブラジルでの時間をことをよく考えるんだ。ゆっくり、水のなかでね。」

トニーが、そんなことを前の夜遅くに私に言った。けれど、灰色の海の冷たさに負けてしまった。やっぱり、青い中で浮かんでいたい。海の水と、雨の水。どちらかの水で三月のブラジルは浄化されている。
2009/05/22(金)
二月のカーニヴァルが終わり、三月に入って、ブラジルの人々はやっと日常生活に戻るために重い腰を上げる。ボサノバの名曲、トム・ジョビンの「三月の水 Águas de Março」という歌にあるとおり、三月の雨には、カーニヴァルのお祭り騒ぎの後に残った人々の熱気や街の汚れを洗い流すという意味がある。もともとはインジオの言葉らしい。

そういうわけで、三月はブラジルを旅行をするには雨ばっかりでひどい季節だと、まわりから言われていた。ところが、私が滞在中は実にスカッとした晴天。おかげで、想像を絶する太陽光線によって、背中の日焼けが一大事件になってしまった。

三月の日常。オンジーナの人々は昼間仕事をして、夜にカポエィラの練習をするという生活に戻る。私も昼間は一人で、美術館で働いている知人をたずねたり、街を散歩したり、サルバドールから船で三十分ほどのイタパリカ島にある芸術家村を訪ねたりして過ごした。

アカデミーアでは基本的にはトニーが日々、カポエィラのクラスを受け持っている。夕方になると、トニーは、アカデミーアの前の石に腰掛けて、まずは子供が到着するのを待つ。ユニフォームを着て帯を締めた子供たちが、大人に連れられてわらわらとアカデミーアにやってきては、扉のなかに吸い込まれていく。

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暗くなってオレンジの街頭が点灯する時間になると、今度は大人の生徒がやってくる。ときどきトニーを手伝うために上の帯の生徒が参加したり、プロフェッソールの帯をしたカポエィリスタが代理でクラスをすることもある。カポエィラはその人のレベルによって、帯の色が分かれている。帯のない状態から始まって、バチザードというカポエィリスタとしての洗礼を受けると、初めて帯をもらい、それぞれのペースで昇段していく。技の取得から、他の帯のカポエィリスタとのジョーゴ(組み手)の流れや、ビリンバウやパンデイロの演奏や歌といった音楽、カポエィラに関する歴史や哲学。帯の段階によって要求されることは異なる。教えることができる帯の段階になると、その経験値が重要になる。あらゆる段階での帯に相応の行動が求められるし、その上で体型や性別、ひいては性格も含めた自分の個性に合ったカポエィラという動きの総合体を、探りながら形作っていく。

子供のクラスは、台風のど真ん中に立っているようだった。途中でベンチによじ登っては、アタバキという背の高い太鼓を叩き始める子供。避けの姿勢をしようとして、床に大の字に寝そべる子供。180センチを超える長身のトニーは自分の膝下ぐらいの身長の三歳児たちを、人形劇をつかさどるように練習が出来る状態に配置していく。えさを求める小鳥のように口々に主張する子供たちの群れを統制する。汗だくである。その間、私がもう少し大きな子供の相手をするべく、ジンガをし始めると、子供たちは、興奮しながら競って同じ動きをし始める。実に素直である。円になって音楽の練習を始めると、われ先にと、知っている歌を歌おうとする。騒々しい小鳥のさえずりをBGMに、この人は、こんなことを長い間こつこつと続けてきたんだろうなと、思った。生徒が少ししかいなかったときも、たくさんいたときも、初心者ばかりのときも、懐かしい生徒が突然現れたときも、それでもずっと。
子供の練習が終わると大人の練習が続く。トニーは子供の練習でも、大人の練習でも同じくらいの運動量で動き回って、カポエィラの身体の持っていき方を伝えていく。練習の最後には、円になって歌と音楽の練習をした。トニーがビリンバウを弾いて、そのほかの生徒がパンデイロと手拍子をする。ゆっくりとした歌から、次第にアップテンポの歌に上り詰めていく。歌と音楽は始まると同時に、生命をもってひとりでに膨張していくようで、あるとき自分が音楽に逆に身体を操られているような気分になる。動きの練習の余韻が残っているトニーの顔からは、汗が滝のように流れている。その熱に酔うように、満面に笑みを浮かべながらリズムに身を任せているその表情が忘れられない。

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火曜日。この日はトニーに代わって、ヴェフメーリョがクラスを受け持つことになっていた。授業がまさに始ろうとするとき、同じプロフェッソールのウーゴがアカデミーアに入ってきた。二人は子供のころから一緒にカポエィラで成長してきた仲間だ。

「やあ、メストレ!」

と、ウーゴがまさに練習をはじめようとしているヴェフメーリョに向かって片手を挙げると、それに気づいた彼は、さらに大きな声を上げて、ハイタッチをして、硬くウーゴの肩を抱いた。
数日前、アカデミーアの前で、汗だくでランニングをしているウーゴにはちあわせた。最近は仕事がかなり忙しくて、練習に行くよりも自分でトレーニングをしていると話していたけれど、どうやら久しぶりに練習に顔を見せたらしい。その日の練習は、結局、ウーゴがクラスを率いて、代わりにヴェフメーリョがそのアシストをする形になった。練習は実に基本に忠実な内容だった。美しい蹴りの動きをなぞるような練習から、歯車のような蹴りと避けのかみ合わせ、カポエィラの動きの成り立ちとその意味を復習させてくれるような内容だった。さらに、帯のレベルの高い生徒にはところどころで、上級者をにおわせる技を挟み込ませる。その人の動きの見せ方に対するセンスを垣間見る。そして、練習の最後には、代わる代わる、全員とジョーゴをした。

久々にウーゴとカポエィラをするヴェフメーリョは、明らかにはしゃいでいた。甲高い声でウキャウキャいいながら、舌をだしては、両手をひらひらさせるような動きもちらほら。まるで子供のように相手を挑発しては、小さな身体に備わった強靭なスプリングで、見るものを厭きさせないひねりの効いた動きを次々とつなげていった。その活力はただのパワーと技ではないような気がした。それよりも、久々にウーゴと会話をしている喜びが原動力のような気がする。二人の動きはまさに会話のキャッチボールで、どちらも互いの動きの行き先を読みあっている。冗談を言ったり、カマをかけたり、いつもの挨拶をしたり、いたずらしたり。互いの性格とか、会話の間とか、聞こえないけど響いてくる声の質とかを分かり合ってからいるからこそ、エネルギーに満ちている。ヴェフメーリョの動きにはどこかヒリヒリするほどに人間的な絆を求める真剣さとハングリーさがある。それは彼が今でこそ手にしている居場所と家族と友人を、大切に繋ぎとめてきた気迫に通じているのかもしれない。と、激しい動きによる熱にうなされながら、ぼおっとしたアタマで考えていた。

その次の日は、トニーの息子で同じくプロフェッソールのフラカォンがカポエィラを教えているフィットネスクラブに赴いた。フラカォンはアペリードで、「竜巻」という意味。物心ついたときから、カポエィラをはじめた正真正銘のカポエィリスタだ。そのフィットネスクラブはオンジーナからバスで三十分ほどのところにある。フラカォンは大学時代にそこでアルバイトをし始めて、今ではこのジムのインストラクターとして働いている。この日は、足首の調子がよくないフラカォンを助けて、ヴェフメーリョが練習のアシストをする。フラカォンとヴェフメーリョは小さなころから、寝起きをともにしながら、カポエィラで一緒に成長してきた血の繋がっていない兄弟。今でこそ、別々の場所でカポエィラを教えているけれど、一緒になると二人の動きは鍵と鍵穴のようにぴったりとかみ合う。ゆっくりとした音楽を聴きながら、そのリズムにあわせたジョーゴをする。床を近くに感じながら、無重力空間にいるように身体を操る動きは、アンゴーラのそれに似ている。ヴェフメーリョとフラカォンは代わる代わる、それぞれの生徒の帯のレベルに合わせたジョーゴする。ふと、その順番が途切れたところで、フラカォンの動きにヴェフメーリョが割って入る。
互いの息遣いが聞こえそうなほど近くに擦り寄りながら、互いのエネルギーを操っている。磁石のプラスとプラス、マイナスとマイナスが最小限の距離で反発し合っているようだ。音楽に導かれるような、二人のジョーゴ。ふとフラカォンが深呼吸をすると、その息遣いに気づいたヴェフメーリョが、ゆっくりとしたリズムに動かされて、アンゴーラ特有の動きであるシャマーダをはじめた。手と手を合わせて、互いの重力を受け止めたり、押し込んだりしながら、ホーダのなかを歩く動きだ。音楽に揺られ、脱力のようでいて、しっかり体重を地面に着地させる。一連の動きの休息。身長差こそある二人だけれど、その足と身体が感じるリズムが絶妙にかみ合っている。恍惚としたフラカォンとヴェフメーリョの表情が強く印象に残る。

カポエィリスタたちの絆、つながりと信頼は強くて深い。トニーが率いるこのグループの絆はひときわだ。というよりも、ある程度の技術を超えると、信頼関係がカポエィリスタを強くしていくのかもしれない。少しずつ、長い時間をかけて形作る人間関係。私は、ゆるやかな浮き沈みのなかで関係が成熟した、とてもよい時期に出くわしたのかもしれない。カポエィラはもともと奴隷が主人への反撃を目論見てはじめた動きとは多くの人が知っていることだ。奴隷制が終わったあとも、貨物船の荷物下ろし係をする男たちが、待てど暮らせどなかなか到着しない船を待っている間、港での暇つぶしのようにカポエィラをし続けた。カポエィラ・へジョナウという流れを整えた、メストレ・ビンバはまさにこの貨物船の荷下ろし係だったという。そのころは、帯の段階なんてなくて、ただうまい人もそうでない人もホーダのなかで転がりあっていた。不安定な生活を傍目に、「持たざる」労働者が繋がりあうきっかけだったのだろうか。技術もさることながら、私が一番、ブラジルの地で繰り広げられるカポエィラに関して「ホンモノ」を感じたのは、そんな人間の関係性だった。
2009/05/21(木)
ビーチから歩いて200メートル。舗装をすべてし終わらないうちに、作業をほおりだしてしまったような通り。その通り沿いに現れるブルーの壁。グルーポ・テンポの道場、アカデミーアの扉は、首を傾げるようにちょっとゆがみ、建物の二階に続く階段は少しずつねじれている。作り途中なのか、壊れてしまったのか、理由はさっぱりわからないけれど、ところどころの壁に隙間がある。そんな隙間から、夜も昼も風が吹き抜ける。そういえば、カポエィラにはVENTO(風)に関する歌がたくさんあった。

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今、トニーが住んでいるアカデミーアを増築している。まさにその作業途中のなかで、その家族は暮らしている。壁が外にぶち抜かれていて外の景色がむき出しだ。どうやら風の大きな入り口はここだったらしい。輪切りにされたようなコンクリート作りの家の一部を見ながら、トニーが言う。

「ここは、今はこんなだけどさ、もうじき別のグループのメストレが修理してくれる予定だから。」

そういえば、以前、別の日本人の生徒がここを訪れたときに、まさにこの壁の写真を見せてくれた。だけど、それ以来風貌は変わっていないらしい。「もうじき」という時間を長く長く引き延ばして考えてみる。バイ―アの風は涼しいときには暖かく、暑いときには心地よくて、ずっと外で暮らしてしまってもいいような、そんな気持ちにさせる。実際、路上はたくさんの子供が暮らしていて、トニーはしばしばそういう子供たちをアカデミーアに招いては、カポエィラを教えてきた。

夜、アカデミーアの前の道はオレンジ色の街頭が照っている。オレンジ色の街灯の向こうはゆるやかな坂になっていて、坂の上にはレンガを積み上げて作ったような簡素な家々が肩を寄せ合って集合している。その家の集合体から人々が出たり入ったりしている。ある女の子が赤ちゃんを抱えて通り過ぎるのを見ると、次の日には別の女の子が同じ赤ちゃんを抱えて歩いている。アカデミーアの扉の正面にある石のベンチに座っていると、実にいろんな人々が連れ立って通り過ぎていく。

着いた日の夜、次々とアカデミーアの住人とその近所に住む子供たちが、私に挨拶をしに立ち寄った。どの子供も、もじもじして、はにかみながら挨拶をしたかと思うと、以前ここに滞在した日本の生徒の名前をポツポツと声に出す。私が、その名前を聞いて、「知っている」と言うと、とたんに打ち解けたような表情に変わる。サウダ―ジという言葉が心からあふれ出しているような気がした。挨拶に興じている間、女の子が抱えていた三歳の男の子は、身長の半分の大きさはあるだろうというパンデイロを手にとっては、よちよちとリズムを刻んだ。

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サルバドールは半島のような形をしていて、ビーチがたくさんある地域と反対側は港になっている。旧市街は港があるあたりにあって、それを取り囲むようにゆるやかに都市ができている。サルバドールは16世紀にポルトガルによって植民地化されて以来、18世紀にリオ・デ・ジャネイロに首都が移るまでの間、ブラジルの首都として栄えた都市である。歴史地区の建物は背が低くて簡素だけれども、パステルカラーの壁がそれぞれ違う色で隣り合っていて、細かい部分に植物の模様のタイル張りが施されて実に品がある。地面は、長い時間をかけた人の往来を予感させるような、丸みを帯びた石畳で、それが地形にかぶさるようにできている。そんな淡い色とりどりの壁の前を、艶々とした肌のアフロ・ブラジレイロが歩いていく。都市が映し出す時代背景と、人々に宿るルーツが横から縦から、いろんな方向からオーバーラップして、ちょっと目の回るような気分になる。そういうわけで、大まかな都市機能はその旧市街の周りのセントロにある。交通機関はほぼバスしかない(電車は、志半ばにして挫折したように、途中でぶつりと切れたものが、街の一部を行き来しているのみだ)。ゆったりとした、小さな街だ。

そんな、こぢんまりとした街のビーチで、トニーは漁師をしたり、ライフガードをしたり、いつも海の近くにいながら暮らしてきた。練習のない土曜の夜、オンジーナからバスで10分ぐらいのヒオ・ヴェフメーリョという場所に行った。アカデミーアの近くに住むリリウという二十歳ぐらいの女の子も一緒だ。ヒオ・ヴェフメーリョでは土曜のお祭り騒ぎの最中で、トニーは近くのテーブルにamigosを見つけると、うれしそうに、彼らの背中を叩く。豆粒のように小さく見える、遠くを歩いている人でも、その人が友人ならば、腹のそこから大きな声を出して、「O!」と、声をかける。片手には常にビールの瓶。トニーの声が遠くまで響いたかと思うと、今度は遠くから同じ声色が返ってくる。

リリウの家は、アカデミーアの前の坂を上がっていったところにある。彼女もトニーのアカデミーアでカポエィラを習っている。ある夜、リリウが私の手に申し訳程度についている爪にマニキュアをしてくれるというので、彼女の家に行った。リリウの家は、大雑把な階段を上った丘の上にある。家のなかに入ると、彼女は真っ暗な中で街灯りを便りに天井についている裸電球をくるりひねってつけた。そして、窓の前にある机に座るように促した。窓にはガラスがなくて、外を見ると坂の下にぽつぽつとオレンジの光が散っている。リリウはシーツで仕切られた隣の部屋に行って、化粧ポーチのなかに入ったマニキュアの道具を持ってきた。だだっ広い、窓辺のテーブルの上に、派手に広げられた手の込んだマニキュアの道具。リリウは自分の太ももの上に私の足を乗せる。足の裏が暖かくて、眠くなった。

その間、何人もの人が家に入ってきては、リリウと一言二言話して出て行った。全員、私とは初対面なのに、まるで私を近所の住人と少しもたがわずに空気のように自然に挨拶をした。赤ちゃんを抱えた、恰幅のいい女性が家の中に入ってきた。リリウの親戚らしきその女性は、愛想なく、私に軽く挨拶をして、リリウの隣に座った。そして、除光液を拝借して、丁寧に尖った木の棒にコットンを擦り付けると、爪からはみ出た赤いマニキュアを拭い始めた。褐色の肌に金色のアフロヘアの赤ちゃんは、ニコニコしながらテーブルの上を立ったり座ったりしている。

「ねえ、彼女にはこっちの色と、こっちの色、どちらがいいかしら?」

と、私の手のひらをかざしながら、その女性に聞く。

「こちらの色のほうが、鮮やかでいいんじゃないの?」
「でも、この肌の色だと、やっぱり薄いほうがいいでしょ?」
「じゃあ、本人に聞いてみたら?」

その女性は、ときどきふて腐れて、ときどき大声で笑って、リリウと世間話をひとしきりしたあとで、赤ちゃんを抱えて家を出て行った。「Boa tarde」。

実に様々な人々が、家を行き来している。誰かの弟だったり、叔母だったり、兄だったり、友達だったり。そして、どこかしらに必ず赤ちゃんがいる。赤ちゃんは誰に抱かれようと、誰に手を握られようと、ニコニコして身体をゆだねる。どの子とどの子が姉妹であるとか、抱えている赤ちゃんが誰の弟であるとか、そういった説明を十分理解すること、家族の単位を理解することは、難しいことだ。誰が誰の子供であるか、誰がどこの家族の一員であるかということは、その場所で暮らすうえではさほど大きな問題ではないのだ。家族の単位というのが溶解して、つながりあう必要のある人たちがつながって、助けを求めている人々を、手の空いているひとが助けている。それは、隙間だらけの家々の集合体のなかで風のように自然に、ゆるやかに行われている。

そんなことを考えていたら、いつのまにか爪の手入れが終わっていた。ところどころに施された花びらのネイルアートを乾かすために、手をふらふらとさせていると、リリウが壁際のソファーのほうを覗き込んだ。

「ねえ、見て」

ソファーのほうに近づくと、三歳のリリウの小さな弟が裸ですやすやと寝ている。何人もの人が行き来して、挨拶をして、世間話をして、ときに大声で笑って出て行った家のなかで、小さな弟は目覚めることなく実にぐっすりと眠っていた。

壁には、画用紙にクレヨンで描かれた、バイーアの海の神様、イエマンジャーの絵が二枚ほど貼り付けてあった。どこかの子供の仕業だった。
2009/05/20(水)
ジャングルのなかに忽然と現れたモダニズム都市サンパウロから、19世紀のヨーロッパのような美しい町並みにやしの木が撓んでいるリオを経て、ブラジル北東部のバイ―ア州サルバドールへ。ブラジルは熱帯のジャングルのなかに、歴史が点で存在するような国。どの都市に行っても、住んでいる人もその人々の話し方も目に入ってくる風景も全然違う。まるで国のなかに国がいくつも存在しているようだ。繁茂する植物は、たった数世紀の間しか人間の手に荒らされていないので、まさに野生というにふさわしい色や形を留めている。じわじわと時間をかけて人間が自然のなかに侵入していったヨーロッパとは違って植生にパワーが溢れている。

サルバドール行きの国内線の席につくと、隣で聞き覚えのある「ゴツン」という乾いた音がした。みると、「しまった!」という顔をしながら、リュックの脇に縛り付けた大きなカバッサを撫でている青年が席に座っている。カバッサとはビリンバウの一部。音を響かせる重要なパーツで、ひょうたんでできた丸い「アタマ」の部分だ。あの音だと、きっとヒビが入ってしまっているなあ、と気の毒に思いつつ、彼が間違いなくカポエィリスタであることを確信した。「ああ、この飛行機はサルバドールのだ。」そろそろ着陸しようというころ(カバッサの一件のほとぼりも冷めたのを確認して)、その青年に話しかけてみた。

「カポエィラをやっているの?」
「そうだよ。君も?本当に?」

彼はサルバドールの大学でアンゴーラをやっていたという。アンゴーラとは、三種類あるカポエィラのスタイルのひとつ。大学を出たあとにリオで1年間仕事をして、今まさにサルバドールに帰るところだという。

「リオは大きなところで、美しいところだけどね。やっぱり僕はサルバドールがいいんだよ。」

飛行機から降りて、荷物を受け取る。アンゴレイロの青年はリオから引越しの荷物をいくつもの鞄に分けて飛行機に載せてきているので、全部の鞄を引き取るのだけで一苦労だ。カートの上に、大きく膨らんだ鞄をパズルのようにいくら体よく積み上げても、何度も転がり落ちる。私は彼を手伝って、太くてひときわずっしりと重いビリーバ(ビリンバウの棒の部分)を手に持って、出口に進んだ。自動ドアが開くと、目の前でマッチ棒のようにひょろ長い、褐色の男性が手すりに寄りかかっている。メストレ・トニーの出迎えだった。トニーは、すぐに私からビリーバを受け取った。

「アンゴレイロ?どのメストレとやってるんだ?え?ああ、よく知ってるよ、メストレによろしく伝えといてくれ。オンジーナのメストレ・トニーだって言ったらすぐわかるさ!」

トニーは、青年の荷物も手伝って、バスに乗ろうとした。でも、青年は途方もない荷物の量に、タクシーで帰ることを選んだ。去り際にトニーと固く握手をして。

バスに揺られて、ため息の出るような海辺の風景を眺めながら、オンジーナに到着したのが午後。オンジーナとはサルバドール市内にあるビーチの名前だ。サルバドールにはビーチがいくつもあって、ブラジル国内外から目の覚めるような色彩の風景を求めて観光客が訪れる。砂浜ではおでこに素潜り用のゴーグルをかけ、今まさに海から上がったばかりというような地元の男たちが、褐色の背中に水を滴らせて歩いている。片手に銛、もう片方に見事に仕留めた蛸や鯛に似た赤い魚やらを束にして握って家路へつく。海はバイーアに住む人々の生活に硬く結びついている。

メストレ・トニーは、バスの窓から見えるオンジーナまでの景色を息つく暇なく説明しながら、今までそこを訪れた日本人のカポエィリスタの名前とそのエピソードを立て続けに述べる。彼は今まで、一体何人のカポエィリスタを受け入れたのだろう。毎年、トニーはここオンジーナよりも時間が三倍速で進み、人口密度が何十倍もある大都市、東京にやってくる。そして、オンジーナで振舞うのと全く同じ情熱と、混乱をもってカポエィラとその哲学を教えている。

オンジーナに着いて、荷物を置いた後、昼食を食べに行った。トニーに連れられてビーチを歩いて、黒い藁のように粗野な植物が被さった小屋をいくつかのぞいて回る。とんがり帽子の海の家だ。小屋のまわりの白い砂浜には、赤や黄色のパラソルとプラスチックのテーブルが置いてある。

「E! O! 今日はどんな魚があるんだい?どれ、見せてみな。これで、この値段か。高いんじゃないのか。O! でも、いい赤い魚があるじゃないか、これにしてくれ。」

人が三人でも入れば窮屈な小屋のなかに、ずかずかと入っていくトニーの甲高い声。トニーはもともと漁師をしていたので魚を見る目はひときわ厳しい。夕方を前にして海はみるみるうちに満ちていく。水平線には、大きな貨物船が直線をなぞるようにゆっくりと左に進んでいった。

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ひどく時間がかかって、ファリーニャとトマトのサラダが添えられた魚のフライが出てくると、トニーがスプーンとフォークでうまく取り分けた。ライムとコリアンダーの香り。かちゃかちゃという音。皿からはみ出た魚の頭と尻尾が震えている。黙々と魚を食べながら、トニーの話を反対の耳で聞く。サルバドールのこと、バイーアのこと、オンジーナのこと、アカデミーアのこと、生徒のこと。おそらくトニーはこの話をいろんな生徒に同じようにしているのだろうけれど、すこしも語り古されたようすがない。笑ったり、怒ったり、驚いたりしながら、生き生きと昨日の出来事のように語る。トニーは、魚は手で食べるのが一番うまいんだといいながら片手で魚の頭にかぶりつく。

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そして、突如思い出したように、カポエィラのプロフェッソールの一人、ヴェフメーリョに電話した。ヴェフメーリョは、トニーに実の子供のようにカポエィラを通じて育てた青年だ。もう体育大学を卒業してカポエィラを教えている。子供のころ、路上で生活していたこともあったけど、今はお母さんと一緒に食堂も営んでいる。

「O! エスケルジーニャがついたぞ。」

同じフレーズを三回ほど繰り返して電話を切った。エスケルジーニャとは、私のアペリード(あだ名)で、左さん、leftyという意味。右左の方角を頭で理解して、すぐに行動にうつすのが苦手な私である。要するに、右に行けといわれると左に行ってしまい、左で避けろといわれて、右で避けてしまう。トニーは、カポエィラをやっていない初対面の人にも私のアペリードを誇らしげに伝え、私がその人に自分の名前を伝えたあとでもなお、即座にアペリードで呼びなおした。

トニーが話す声は、おそらく海のなかで泳いでいる人々にも聞こえている。それほど、声が大きい。腹のそこから搾り出すような声の張りとボリュームだ。私が飲み物にアグア・ジ・ココを注文すると、売り子に大声で言いつけた。

「O! ココだったらな。そこのココじゃなくって、キオスクの横のココの店のを買ってきてくれ。そこが一番いいんだから。い・ち・ば・ん・だ!いや、そっちじゃなくて、あそこだ。いけ、いけ。」

しぶしぶ売り子の少年が商売敵の売店にココを買いに行く。トニーおススメのサッカーボールのような大きさのココが、差し出される。するとまさにそのとき、つつ―と背後で自転車が止まった。プロフェッソール・ヴェフメーリョとは二年ぶりの再会だった。それでも、何だかすごく近くにいたような気がするのが変な感じだ。

「どのくらい、サルバドールにいるんだ?金曜までか?短いなあ。Pouco tempo.でも木曜はいる?そうか、ホーダにはいるんだな。じゃあ、練習は月、火、水か。」

ヴェフメーリョはホーダに参加できることを確認すると、練習のスケジュールを指折り立て始める。ホーダ(Roda)とは円という意味で、集まってカポエィラをすること。毎週木曜日にアカデミーアで行われている。月曜日はトニー、火曜はヴェフメーリョ、水曜はフラカォン。いいな?

この人たちはカポエィラで、もてなそうとしてくれている、そんな気がした。

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