「4.ホーダ」 黄帯よしこちゃん(ブラジル滞在記)

東京・新宿区、渋谷区で教室活動するカポエイラ・テンポ(カポエラ)のみんなが書くブログ。 練習やイベント情報、ブラジル日記やメディア裏話も!
2009/05/23(土)
トニーが朝からそわそわしている。

「今日は、母さんの買い物につきあわなくちゃいけない。」

丸い目をさらに丸くして、買い物の大変さと必要性を主張する。それをひととおり聞いたあと、私は私で、トニーに街の中心行きのバスの乗り方を確認した。

午前中、街を散歩し、昼過ぎにアカデミーアに戻る。鉄の扉が閉まったままになっている。ということは、きっと、まだトニーは帰ってきていない。近くのスーパーでガラナを買って、石のベンチに座った。丁寧にストローで飲む。甘い炭酸飲料を飲んでも、お腹が一杯にならないのは、この街が要求するエネルギー消費量とのバランスだろうか。ふと振り返ると背後に珍しくタクシーが止まろうとしている。左側の席に座った運転手がニヤニヤと私のほうを見ているので、気味悪く思ったけれど、次の瞬間、車が止まって助手席からトニーが降りてきた。これまた、珍しい光景だ。

「何してた?昼飯は食べたか?」

と、聞きながら、車の後ろのトランクを開けた。トランクのなかには、黄色いスーパーの袋が、いくつもいくつも入っている。底なしかと思うほどたくさんの袋で埋め尽くされている。長い時間をかけて、食料品やら、日用品やらが入ったすべての袋を取り出して、アカデミーアのなかに入れる。

「今日は、ある子供の生徒の誕生日なんだ。だから、誕生日のホーダの準備をしないと。その子の家は、お金がなくって、誕生日会ができないから、これでケーキをつくってもらうんだ。誰にって?近所のお母さんだよ。」

ポルトガル語で、ケーキは、「ボロ」という。私が一番初めに憶えた言葉だったような気がする。その響きに、ケーキという言葉が醸し出す、うきうき感がなくて、可笑しかった。毎週木曜日は、アカデミーアにカポエィリスタが集まる「ホーダ」の日だ。「ホーダ(RODA)」とは、ポルトガル語で円という意味。円になって、カポエィラをする。オンジーナに到着してからというもの、人に会うたびに、挨拶のあと、「ホーダに来るか?」という質問を何回かされたような、そんな気がする。

夕方になると、オレンジの光の下に何人も白いカウサ(ズボン)のカポエィリスタが集まってくる。ただでも、人の往来が頻繁にある場所なのに、今日は子供から大人までやけににぎやかだ。アカデミーアの前に立つ、カポエィリスタたちは、同じユニフォームを着ていることを確認すると、名前を言って握手を促す。何となく、日本から生徒が来るらしいという噂はもう広まっていたようだ。

「えすけるじーにゃあー」

と、子供たちが塊になって近寄ってきて、私の肩にだらりと寄りかかる。昨日はもじもじしていた子供も、今ではごろごろと甘えてくる変わり身の早さが可笑しい。

子供の固まりの傍らで、フラカォンとヴェフメーリョが、近所の人たちと話しをしている。ウーゴがまたぎりぎりに到着する。上級者のドラガォンが握手を求める。他団体のカポエィリスタがアカデミーアに入っていく。練習のときは、帯をしないことが多かったアカラジェが、今日はちゃんと帯をしている。

「Vamos. そろそろ、始るぞ。」

という、トニーの甲高い声。生徒たちがアカデミーアの中に吸い込まれていく。アカデミーアの正面の壁に掲げてあるメストゥレ・ビンバの肖像の前で、帯のレベル順に並んで長い列を作って、ホーダの始まりを待つ。待っている間、ちょっとした準備運動のつもりで、私が伸脚をすると、子供が駆け寄ってきて目の前で真似をする。三角定規が三つ。新しい技だと思っているのか、えらく楽しそうだ。

ホーダは、ビリンバウの音とともに始まる。そして、パンデイロのリズム、クアドラというホーダの始まりを象徴する歌、そしてクアドラに呼応するコーラスという順番で、音とリズムが一層ずつ重なり合っていく。そして、最後にひときわ大きなコーラスの歌声と、手拍子が響き渡る。その瞬間、大勢の存在を感じて身震いする。

それぞれが相手の動きを図りあいながら、ホーダの運動全体にエンジンを入れる。その日は、どんな人が来ていて、どんな空気が漂っているのか、人々が作る空気を身体に馴染ませる。カポエィラは円で成り立っている。蹴り、避けの基本の動きも小さな円運動の一つの単位だ。相手と組み合うことによって、円運動が二倍になって歯車のように呼応しあう。新たに円運動に加わろうという人は、ホーダの中の円運動の邪魔にならないように、鮮やかに相手を代わる。逆に、円の外にはじき出された人は、外円を構成する要因になって手拍子をする。ときどき、ジョーゴをしていると、相手と会話をしているような感覚を憶える。「私は始めたばっかりだから、動くだけでいっぱい、いっぱいよ。」、「こっちに行くから、あっちに行ってよ。」、「さっきは、足が当たってごめんね。」とか。身体の距離や、動きはじめの仕草や、目つきを見て、その人の動きを読む。読んで、答える。その繰り返し。プロフェッソールの動きには、さらに導きがある。彼らの動きは常に傍らにぽっかりと道ができていて、「こちらにいくがよい」と言葉で言わずして、身体で表している。そうやって、身体の持って行き方を学んでいく。久しぶりの人とは、「最近、元気?」と言う。気持ちの通った会話が出来た後は、その人のことをもっと知ったような気持ちになる。

円運動は、ホーダが終わる瞬間まで続く。円は時間が経つに連れて温まり、運動のスピードが速まっていくとともに、高揚していく。まるで代謝の運動が目の前で起こっているようだ。次々と、新しい人々が割って入っては、片方が出て、それを繰り返しながら、人間のエネルギーだけで成長していく。ホーダが終わる瞬間は、「ぱちん」と、何かがはじけたようなそんな音がするような気がする。円が高揚してくると、次第に上級者は、相手を倒すカポエィラをはじめる。円運動を止めない程度の力加減と華麗さで相手を倒し、倒されるほうの人も、正しい倒され方で、次の動きにつなげていく。その戦いの要素が、円運動にピリリとした緊張感を与えていく。
円が温まったころ、私が子供とジョーゴをしようとすると、ヴェフメーリョが割って入ってきた。彼の気配を読む暇もなく、カベサーダ(頭突き)を受け、起き上がりながらも、どんどん距離が詰められてくるのを感じる。次の瞬間、彼の両足が目の前で、空中に飛んだのを見たと同時に、私の身体もそれより高く空中に飛んだ。チゾーラ(両足で相手の身体を挟み込む技)を食らったのだ。自分の身体がこんなに軽やかに飛ばされうることに驚きつつ、空中に浮いていると、誰かが私の頭を両手でキャッチしているのを感じた。そして、外円のホーダを構成する誰かの足元にふわりと倒れた。「ヴェフメーリョ!」という声が聞こえた。一メートルぐらい飛ばされていた。大きな男と小さな女の自分のどうしようもない力の不均衡に無力さを感じつつも、「ああ、私はここで安心して、カポエィラができる。」と思った。誤って、早く地面に手をつきすぎたので、ひじが痛む。立ち上がろうとしたけれど、すぐにホーダが止められて、仕切りなおされた。しょうがなく、ホーダを出ると、ヴェフメーリョがハイタッチをした。このホーダの表面は信頼してカポエィラをさせてくれる人々で覆われている。

ホーダを動かす原動力は歌と音楽である。バイーアに関するものから、カポエィラを賛辞する歌、そしてホーダのなかで、今まさに起こっていることを表現する歌など、歌詞に多くの物語が盛り込まれている。例えば、新しい人がホーダのなかに入ってきたことを伝える歌とか、まさに目の前で誰かが転んだことを表現する歌とか、女性だけのホーダを讃える歌とか。様々だ。高揚させる歌もあれば、カームダウンさせる歌もある。
歌の意味をわかりながら歌うと、ホーダの空気がぐっと豊かになる。日本でやっているときは感じにくかったけれど、ホーダのなかには二重の会話があるのだ。一つは動きのキャッチボールと、もう一つは歌が投げかけるメッセージ。歌い手も、コーラスを返すほうも、歌の意味を理解して、意味で投げ返す。フラカォンの表現力には脱帽する。カポエィリスタ一人ひとりの顔を見ながら、手振りと表情で歌が持っているメッセージを伝える。素朴な歌詞の繰り返しなのに、フラカォンの歌は豊かだ。ホーダ全体が演劇のような絶大な表現力で固められている。そういえば、ハワイのフラダンスも、もともとは、メッセージを伝える手段の一つで、ダンスではなかった。歌詞には意味がある。その意味をよりよく伝えるために、身体の動きが伴ってきた、それがフラダンスのはじまりだということを誰かから聞いたことがある。きっと、カポエィラの歌も同じなのだろう。

高揚を極めた円運動は、いつかはじける。緊張と緩和。はじけた後の円運動の脱力感を拭い去るように続くのは、サンバだ。歌の表現力はサンバの表現まで引き継がれて、ついに身体の動きと、音楽が合体する。ホーダの終わりの一瞬の沈黙のあと、始まりの気配を感じると、人々はホーダの大きさを狭める。サンバのリズムと歌が始ると同時に、男の子と女の子の子供が、スイッチが入ったかのように、必死で足をばたばたし始める。正確なサンバのステップ!
サンバは男女が対になって踊る。それぞれが、役を演じるようにサンバの円のなかに入っていくのだ。ここでもフラカォンの絶大な存在感。客席で見ている若い女性の手を引きながら、いそいそと円の中に入っていく、彼の表情とアドリブ。数分前まで、戦いの前線にいたような力んだ表情が嘘のようにリズムに蕩けている。芝居を見ているかのように、面白くて自然と笑みがこぼれてくるし、ドキドキする。踊る人の喜びに見ているほうまで、楽しい気分になる。

ぽかぽかと暖かくなったところで、サンバがパタンと終わる。そのあと、約束どおり、誕生日の13歳の男の子を囲んで、ケーキがやってきて、それからサンバのリズムに乗った誕生日の歌。どろりとしたチョコレートのケーキ。丸いケーキは、ホーダの余韻にいささか、とろけているようだった。


帰りの日は雨だった。
灰色の空と、灰色の海。空と海の色彩のコントラストは、なくなってしまった。

「空港に行くまでの時間、海に行ってくるといい。海のなかで沈んで、ブラジルでの時間をことをよく考えるんだ。ゆっくり、水のなかでね。」

トニーが、そんなことを前の夜遅くに私に言った。けれど、灰色の海の冷たさに負けてしまった。やっぱり、青い中で浮かんでいたい。海の水と、雨の水。どちらかの水で三月のブラジルは浄化されている。
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