2021/09/01(水)
Привет!

タルタルーガ、ユジノサハリンスクにやってきました。
みなさま、いつもながら大変ご無沙汰しております。
※ この旅行もコロナ前の話になります。
で、どこ?
って話になるんですが、

ユジノサハリンスク(ロシア語: Южно-Сахалинск)はロシア、サハリン州の州都です。

サハリン(ロシア語:Сахалин)はロシアといっても東の果て、極東ロシアに属しています。

ご存じの方も多いと思いますが、サハリンは日本名は樺太(からふと)で、戦前は南半分は日本の領土でした。
もう北海道のすぐ上です。

サハリン州の州旗なんて、もうそのまんま。 樺太と千島列島が表示されています。

日本からサハリンへの道はオーロラ航空が成田と札幌(新千歳)から直行便があり(※いずれもコロナ前)、
成田からは2時間20分、札幌からは1時間20分の飛行時間ですから、ロシアという心理的なイメージに対して随分と近いです。

過去には稚内から、コルサコフまで夏に季節運航でフェリーが出ていました(現在は運休中)。

ちなみに今回タルタルーガは、S7航空の経由便が謎に安かったので、ウラジオストクを経由してユジノサハリンスクへやってきました。


ウラジオストクでは、以前ACMBウラジオストク支部(現:Existência Capoeira)を訪問した時に仲良くなったSOL夫妻に会って一緒に食事をして、

(ウラジオストク編)

翌朝ウラジオストクからユジノサハリンスクへ向かいます。


(ユジノサハリンスク空港)

ここユジノサハリンスクですが、まずロシアの地方都市特有の殺風景な感じです。
そしてやっぱり寒い!

訪問時の3月後半の気温もこのとおり。地吹雪なんて初めて見ました。
_in1929.jpg)
ユジノサハリンスクは日本統治時代は「豊原」と言われ、樺太庁及び豊原支庁が置かれ、
日本領有下における政治・経済・文化の中心でした。現在はサハリン州の州都です。
ここでサハリンの歴史について説明したいのですが、

(樺太アイヌ)
元々はアイヌやニヴフといった北方の民族が住んでいた土地で、
近世には松前藩がアイヌとの交易をしていました。
江戸時代後期においては、間宮林蔵が幕府の命を受け樺太を探検し、樺太が島であることを確認しました。

樺太(サハリン島)とロシア本土の間にある海峡は「間宮海峡(タタール海峡)」と言われ、
北はオホーツク海、南は日本海に通じ、長さはおおよそ660km。最狭部の幅は約7.3kmほどとなっています。

(間宮林蔵)
幕末には相次ぐ外国船が通商を求めて現れたことにより、江戸幕府は樺太を天領(直轄地)とし、
秋田藩・弘前藩・仙台藩・会津藩など奥羽諸藩に蝦夷地への出兵を命じ、防衛にあたらせています。
その後は現地民族、日本人、ロシア人が混在する土地となっていましたが、、
明治8年(1875年)樺太・千島交換条約によって、樺太全島はロシア領、千島列島は日本領となります。
日露戦争の勝利の結果、南樺太が日本領になりますが、
最終的にソビエト連邦の侵攻により、第二次大戦後はソ連領となり現在はロシアが実効支配しています。

この辺りは学校の日本史で登場するあたりですね。
やはり日本に近いと、歴史上日本と関連することが多く現れます。

(ユジノサハリンスク駅)
現在タルタルーガが立っている場所はユジノサハリンスク駅前です。



実はサハリンには島内を縦断して鉄道が走っています。

南側は戦前は樺太鉄道局による樺太鉄道が走っており、終戦後はソ連に接収されて継続使用されています。

ユジノサハリンスク駅のすぐそばには「ロシア鉄道サハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)」があります。

一見普通の建物なので分かりにくいですが、2階が博物館です。

近くには蒸気機関車も展示されています。

さて、タルタルーガ博物館に入ります。


中はこんな感じで、サハリンの鉄道に関する展示物が並んでいます。

ソ連時代の物もあります。レーニンの旗。

タルタルーガ、陽気な館長さんに何故か差し棒を持たされました。

(ユジノサハリンスクはここです)

樺太鉄道にはあの宮沢賢治が大正12年(1923年)に北海道を経由して樺太(サハリン)まで至る旅の際に乗車しており、
当時の鉄道で行ける日本の北の果てであった栄浜(現:スタロドゥプスコエ)に行きつきました。
この旅は前年の冬に亡くなった妹・トシの魂の行方を探すための旅だったと言われ、
彼の代表作でもある『銀河鉄道の夜』はこの経験から着想を得たとも言われています。

(アニメの銀河鉄道の夜もおススメです)
宮沢賢治のファンであれば、一度作品を持って訪れてみてはいかがでしょうか。

(現在の栄浜)
--------------------------------------------------------

タルタルーガ、ユジノサハリンスクの街を歩いてみます。

現在のユジノサハリンスクはロシアにおいての地方都市なので、街並はいかにもロシアの地方都市です。
ソ連が侵攻した後に殆ど壊されて、実際のところ、かつての日本統治時代の面影は街を歩く限りではほとんどありません。

(旧北海道拓殖銀行豊原支店)・・・数少ない統治時代の建物。現在はサハリン州立美術館

タルタルーガ、街歩きの中でいくつかお店に入ってみます。

ロシアはこんな感じのミニスーパー的な食料品店が結構あります。

パンやお菓子、ハムとかお惣菜にお酒といったようにいろいろ売ってます。

ウォッカもこんなに並んでます。さすがロシアですね。


サハリンの横はオホーツク海ですから、いろいろな海産物が売っています。

日本に近いので、このとおり醤油とかも普通に売ってます。輸入してる分値段は高めです。

露店で売っているこれ。なんだか分かりますか?キムチです。

サハリンではキムチは一般的な食料だそうです。
というのも、また歴史の話なのですが、南樺太が日本統治されていた時代に、
同じく日本占領下にあった朝鮮から多くの朝鮮人が樺太に移住してきたんですね。
ソ連の侵攻後、日本人は全てサハリンから日本へ追放されましたが、
朝鮮の人はそのまま帰らず現地化したそうです(在樺コリアン)。
そのため現在も多くの朝鮮系のロシア人がサハリンに住んでいます。
なので、キムチが食べられているんですね。いろいろと勉強になります。

ちょっとこのデパートに入ってみます。中にはいろいろなお店があります。

中はよくある日本の古い百貨店的な造りです。

お土産屋もあります。

サハリンの形の白樺の置物とかがあります。
サハリンはそこまでの観光地ではないので、お土産屋さんは少ないです。

こんなリアルなカニの置物なんかもありました。

メイドインサハリンだそうです。(お土産にどうですか?グッティさん)
さて、サハリンはロシアの地方都市ではありますが、

「サハリン・プロジェクト」という油田・天然ガス田の開発プロジェクトが行われており、
ロシア国内だけでなく外国からの技術者や日本の石油商社も参入していて、
東の果てといっても、意外にも人の流入はあるようです。

街にはオシャレなカフェもあれば、


キレイで品ぞろえもいいスーパーもありました。
北海道のすぐ上の距離と思うと中々不思議な感じもしますね。
ぜひみなさまもサハリンに行ってみてください。
-------------ここからカポエイラのお話-------------------
このブログはカポエイラのブログですよね。
ということで、今回はサハリンのカポエイラ団体を訪問します!

タルタルーガ、今日の練習場所に向かいます。

途中ユジノサハリンスキー山脈(旧樺太山脈)近くを通り(ユジノサハリンスクはスキー場があります)、


ロシア教会を横切って、着いたのはこちらの建物。

ユジノサハリンスク市総合技術専門学校です。
今回訪問した団体はこちら。

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
URL: https://www.instagram.com/capoeira.sakhalin/
Mundo Capoeiraのサハリン・ユジノサハリンスク支部です。
Mundo Capoeiraはブラジル人「Mestre Dendê」が師事する団体で、

(Mestre Dendê)
ロシア各地に拠点を持っていて、ロシア本部はサンクトペテルブルクにあります。

ロシア国内でもサハリンとサンクトペテルブルクではもはや別の国レベルで離れてますね。
さすがロシア。広大です。

(Tigrao)
ここサハリン支部の先生はロシア人カポエイリスタTigrao。
彼はサハリン出身で、仕事でサンクトペテルブルクに住んでいて、
そこでMundo Capoeiraロシア本部でカポエイラを学び、地元であるユジノサハリンスクで支部を開いたそうです。
見た目はスキンヘッドでイカツイですが、とても穏やかな人です。
タルタルーガ、今回この団体へはウラジオストクのSOLに仲介してもらってコンタクトを取ったのですが、
Tigrao本人は謎の日本人カポエイリスタの訪問にドキドキしていたそうです(笑)。

中はこんな感じ。青色が特徴的な体育館です。
参加者は地元の少年たちや一般の方々でしたが、サハリン開発関係の英語が堪能なエンジニアの方とかもいて、
Tigraoの話だと、日本語を話すメンバーもいるそうです。
この辺りはさすが日本と関係があるサハリンらしいところですね。
さあ、サハリンである日本人カポエイリスタが初の練習に参加します!
この日の練習は準備体操から並んで基本の蹴りなど。
2人組で蹴りに対する避けといったスタンダードな練習でした。
途中、Tigraoから、
Tigrao「タルタルーガ、今日はいい機会なんで何か君の団体でやっている練習を教えてくれないかな?」
という、まさかの無茶振り。
タルタルーガ、どうしようかと考えましたが、グルーポ・テンポはCAPOEIRA REGIONAL(カポエイラ・ヘジオナウ)の団体なので、
セクエンシア(カポエイラの型)を説明することにしました。
といっても、1番~8番まであるので、とても全部は説明できないことから、

今回は1番だけを教えることにしました。

実際にやっていきます。







メイア・ルーア・ジ・フレンチからのアルマーダ、アウーに相手はカベサーダ、ホレー。

相手もやります。





結構うまく対応してくれました。


みなさんもやってもらいました。なんとか楽しんでくれたようです。
まあ、実はこういったお願いはたまにあります。技とか歌とかを聞かれるケースが多いです。
なので、外国でカポエイラをしたい方はいくつかネタを用意しておきましょう(笑)。


カメラをセットして最後はみんなでジョーゴ!


みなさん楽しんでジョーゴしてます。

タルタルーガも割って入ります。


ユジノサハリンスクである日本人カポエイリスタががんばります!

セクエンシアをやったイケイケの若者とジョーゴ!




彼は中々元気があります。

Tigraoとジョーゴ!



リーチが長いので気を付けて対応です。



サハリン初上陸の日本人カポエイリスタとして技を繰り出します!
こんな感じで練習終了。今回もまたいい経験ができました。

ちなみに、この日のカポエイラの後の体育館使用はまさかの剣道チームでした。

剣道の方と少し話してみたところ(この方日本語ペラペラ)、サハリンにもいくつか剣道チームがあるそうです。
(ちなみにタルタルーガは中高剣道部です)
実際に日本とサハリンの国際交流事業の一環として、ここで「日本国総領事杯」という剣道大会が行われたこともあって、
在ユジノサハリンスク日本国総領事館のHPにも掲載されています。

さらに調べてみると、地域的、歴史的背景から北海道との関係は現在も存在し、
剣道だけをみても札幌や旭川の剣道団体がサハリンを訪問し、交流を行っています。
北海道のカポエイリスタのみなさま、サハリンでカポエイラ交流いかがでしょうか?(北海道以外でもいいんですが)

Tigrao自身も昨年サンクトペテルブルクの本部で昇段して頑張っているようで、きっと快く受け入れしてくれると思います。
というわけで、

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
Большое тебе спасибо!
-------------------------------------------
サハリンでカポエイラをしてきたタルタルーガでしたが、読者のみなさま、今回の日記はいかがだったでしょうか?
まあ、ユジノサハリンスクでカポエイラはマニアックでしたね。
今までウラジオストクがロシア国内において、一番東の果てにあるカポエイラ団体だと思ってましたが、
まさかサハリンにカポエイラ団体があったことにはビックリしました。
実際に訪問することが出来て、過去の歴史背景や、日本との関係性なども知れていろいろと学びがありましたね。
今回は何故、こんな残暑厳しい季節に真冬の日記を?と思われるかと思いますが、
でも、見てて涼しくなりましたか(笑)?
・・・・・・・。
すみません、ただの言い訳でした。 単純なサボりです。
今年はいろいろと忙しくて、GWあたりに作成を頑張るつもりが疲れて遅くなってしまいました。
2021年も半分が過ぎましたが、相変わらず今年もコロナで海外旅行は出来ない状況です。
ただ世界的に見ればワクチンの普及やwithコロナの生活スタイルの定着化によって、
徐々に変化を見せつつあります。
タルタルーガ的にはとりあえずまだ日記のストックがあるので、今年も細々と消化していきたいと思います(笑)。

さて、ユジノサハリンスクにはあまり日本統治時代の建造物が残っていないと説明しましたが、
とは言っても、いくつかは残っています。

その内の一つがこちら。「サハリン州郷土博物館」です。

この建物は1937年に大日本帝国樺太庁によって、「樺太庁博物館」として建設されました。
日本時代の建築物では保存状態が良く、現在も博物館として使われてます。

残念ながらこの日は休館日なので、外観だけ。

ようやく日本らしいものが出たところで、今回は終わり。
また次回をお楽しみに!

Пока пока !

タルタルーガ、ユジノサハリンスクにやってきました。
みなさま、いつもながら大変ご無沙汰しております。
※ この旅行もコロナ前の話になります。
で、どこ?
って話になるんですが、

ユジノサハリンスク(ロシア語: Южно-Сахалинск)はロシア、サハリン州の州都です。

サハリン(ロシア語:Сахалин)はロシアといっても東の果て、極東ロシアに属しています。

ご存じの方も多いと思いますが、サハリンは日本名は樺太(からふと)で、戦前は南半分は日本の領土でした。
もう北海道のすぐ上です。

サハリン州の州旗なんて、もうそのまんま。 樺太と千島列島が表示されています。

日本からサハリンへの道はオーロラ航空が成田と札幌(新千歳)から直行便があり(※いずれもコロナ前)、
成田からは2時間20分、札幌からは1時間20分の飛行時間ですから、ロシアという心理的なイメージに対して随分と近いです。

過去には稚内から、コルサコフまで夏に季節運航でフェリーが出ていました(現在は運休中)。

ちなみに今回タルタルーガは、S7航空の経由便が謎に安かったので、ウラジオストクを経由してユジノサハリンスクへやってきました。


ウラジオストクでは、以前ACMBウラジオストク支部(現:Existência Capoeira)を訪問した時に仲良くなったSOL夫妻に会って一緒に食事をして、

(ウラジオストク編)

翌朝ウラジオストクからユジノサハリンスクへ向かいます。


(ユジノサハリンスク空港)

ここユジノサハリンスクですが、まずロシアの地方都市特有の殺風景な感じです。
そしてやっぱり寒い!

訪問時の3月後半の気温もこのとおり。地吹雪なんて初めて見ました。
_in1929.jpg)
ユジノサハリンスクは日本統治時代は「豊原」と言われ、樺太庁及び豊原支庁が置かれ、
日本領有下における政治・経済・文化の中心でした。現在はサハリン州の州都です。
ここでサハリンの歴史について説明したいのですが、

(樺太アイヌ)
元々はアイヌやニヴフといった北方の民族が住んでいた土地で、
近世には松前藩がアイヌとの交易をしていました。
江戸時代後期においては、間宮林蔵が幕府の命を受け樺太を探検し、樺太が島であることを確認しました。

樺太(サハリン島)とロシア本土の間にある海峡は「間宮海峡(タタール海峡)」と言われ、
北はオホーツク海、南は日本海に通じ、長さはおおよそ660km。最狭部の幅は約7.3kmほどとなっています。

(間宮林蔵)
幕末には相次ぐ外国船が通商を求めて現れたことにより、江戸幕府は樺太を天領(直轄地)とし、
秋田藩・弘前藩・仙台藩・会津藩など奥羽諸藩に蝦夷地への出兵を命じ、防衛にあたらせています。
その後は現地民族、日本人、ロシア人が混在する土地となっていましたが、、
明治8年(1875年)樺太・千島交換条約によって、樺太全島はロシア領、千島列島は日本領となります。
日露戦争の勝利の結果、南樺太が日本領になりますが、
最終的にソビエト連邦の侵攻により、第二次大戦後はソ連領となり現在はロシアが実効支配しています。

この辺りは学校の日本史で登場するあたりですね。
やはり日本に近いと、歴史上日本と関連することが多く現れます。

(ユジノサハリンスク駅)
現在タルタルーガが立っている場所はユジノサハリンスク駅前です。



実はサハリンには島内を縦断して鉄道が走っています。

南側は戦前は樺太鉄道局による樺太鉄道が走っており、終戦後はソ連に接収されて継続使用されています。

ユジノサハリンスク駅のすぐそばには「ロシア鉄道サハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)」があります。

一見普通の建物なので分かりにくいですが、2階が博物館です。

近くには蒸気機関車も展示されています。

さて、タルタルーガ博物館に入ります。


中はこんな感じで、サハリンの鉄道に関する展示物が並んでいます。

ソ連時代の物もあります。レーニンの旗。

タルタルーガ、陽気な館長さんに何故か差し棒を持たされました。

(ユジノサハリンスクはここです)

樺太鉄道にはあの宮沢賢治が大正12年(1923年)に北海道を経由して樺太(サハリン)まで至る旅の際に乗車しており、
当時の鉄道で行ける日本の北の果てであった栄浜(現:スタロドゥプスコエ)に行きつきました。
この旅は前年の冬に亡くなった妹・トシの魂の行方を探すための旅だったと言われ、
彼の代表作でもある『銀河鉄道の夜』はこの経験から着想を得たとも言われています。

(アニメの銀河鉄道の夜もおススメです)
宮沢賢治のファンであれば、一度作品を持って訪れてみてはいかがでしょうか。

(現在の栄浜)
--------------------------------------------------------

タルタルーガ、ユジノサハリンスクの街を歩いてみます。

現在のユジノサハリンスクはロシアにおいての地方都市なので、街並はいかにもロシアの地方都市です。
ソ連が侵攻した後に殆ど壊されて、実際のところ、かつての日本統治時代の面影は街を歩く限りではほとんどありません。

(旧北海道拓殖銀行豊原支店)・・・数少ない統治時代の建物。現在はサハリン州立美術館

タルタルーガ、街歩きの中でいくつかお店に入ってみます。

ロシアはこんな感じのミニスーパー的な食料品店が結構あります。

パンやお菓子、ハムとかお惣菜にお酒といったようにいろいろ売ってます。

ウォッカもこんなに並んでます。さすがロシアですね。


サハリンの横はオホーツク海ですから、いろいろな海産物が売っています。

日本に近いので、このとおり醤油とかも普通に売ってます。輸入してる分値段は高めです。

露店で売っているこれ。なんだか分かりますか?キムチです。

サハリンではキムチは一般的な食料だそうです。
というのも、また歴史の話なのですが、南樺太が日本統治されていた時代に、
同じく日本占領下にあった朝鮮から多くの朝鮮人が樺太に移住してきたんですね。
ソ連の侵攻後、日本人は全てサハリンから日本へ追放されましたが、
朝鮮の人はそのまま帰らず現地化したそうです(在樺コリアン)。
そのため現在も多くの朝鮮系のロシア人がサハリンに住んでいます。
なので、キムチが食べられているんですね。いろいろと勉強になります。

ちょっとこのデパートに入ってみます。中にはいろいろなお店があります。

中はよくある日本の古い百貨店的な造りです。

お土産屋もあります。

サハリンの形の白樺の置物とかがあります。
サハリンはそこまでの観光地ではないので、お土産屋さんは少ないです。

こんなリアルなカニの置物なんかもありました。

メイドインサハリンだそうです。(お土産にどうですか?グッティさん)
さて、サハリンはロシアの地方都市ではありますが、

「サハリン・プロジェクト」という油田・天然ガス田の開発プロジェクトが行われており、
ロシア国内だけでなく外国からの技術者や日本の石油商社も参入していて、
東の果てといっても、意外にも人の流入はあるようです。

街にはオシャレなカフェもあれば、


キレイで品ぞろえもいいスーパーもありました。
北海道のすぐ上の距離と思うと中々不思議な感じもしますね。
ぜひみなさまもサハリンに行ってみてください。
-------------ここからカポエイラのお話-------------------
このブログはカポエイラのブログですよね。
ということで、今回はサハリンのカポエイラ団体を訪問します!

タルタルーガ、今日の練習場所に向かいます。

途中ユジノサハリンスキー山脈(旧樺太山脈)近くを通り(ユジノサハリンスクはスキー場があります)、


ロシア教会を横切って、着いたのはこちらの建物。

ユジノサハリンスク市総合技術専門学校です。
今回訪問した団体はこちら。

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
URL: https://www.instagram.com/capoeira.sakhalin/
Mundo Capoeiraのサハリン・ユジノサハリンスク支部です。
Mundo Capoeiraはブラジル人「Mestre Dendê」が師事する団体で、

(Mestre Dendê)
ロシア各地に拠点を持っていて、ロシア本部はサンクトペテルブルクにあります。

ロシア国内でもサハリンとサンクトペテルブルクではもはや別の国レベルで離れてますね。
さすがロシア。広大です。

(Tigrao)
ここサハリン支部の先生はロシア人カポエイリスタTigrao。
彼はサハリン出身で、仕事でサンクトペテルブルクに住んでいて、
そこでMundo Capoeiraロシア本部でカポエイラを学び、地元であるユジノサハリンスクで支部を開いたそうです。
見た目はスキンヘッドでイカツイですが、とても穏やかな人です。
タルタルーガ、今回この団体へはウラジオストクのSOLに仲介してもらってコンタクトを取ったのですが、
Tigrao本人は謎の日本人カポエイリスタの訪問にドキドキしていたそうです(笑)。

中はこんな感じ。青色が特徴的な体育館です。
参加者は地元の少年たちや一般の方々でしたが、サハリン開発関係の英語が堪能なエンジニアの方とかもいて、
Tigraoの話だと、日本語を話すメンバーもいるそうです。
この辺りはさすが日本と関係があるサハリンらしいところですね。
さあ、サハリンである日本人カポエイリスタが初の練習に参加します!
この日の練習は準備体操から並んで基本の蹴りなど。
2人組で蹴りに対する避けといったスタンダードな練習でした。
途中、Tigraoから、
Tigrao「タルタルーガ、今日はいい機会なんで何か君の団体でやっている練習を教えてくれないかな?」
という、まさかの無茶振り。
タルタルーガ、どうしようかと考えましたが、グルーポ・テンポはCAPOEIRA REGIONAL(カポエイラ・ヘジオナウ)の団体なので、
セクエンシア(カポエイラの型)を説明することにしました。
といっても、1番~8番まであるので、とても全部は説明できないことから、

今回は1番だけを教えることにしました。

実際にやっていきます。







メイア・ルーア・ジ・フレンチからのアルマーダ、アウーに相手はカベサーダ、ホレー。

相手もやります。





結構うまく対応してくれました。


みなさんもやってもらいました。なんとか楽しんでくれたようです。
まあ、実はこういったお願いはたまにあります。技とか歌とかを聞かれるケースが多いです。
なので、外国でカポエイラをしたい方はいくつかネタを用意しておきましょう(笑)。


カメラをセットして最後はみんなでジョーゴ!


みなさん楽しんでジョーゴしてます。

タルタルーガも割って入ります。


ユジノサハリンスクである日本人カポエイリスタががんばります!

セクエンシアをやったイケイケの若者とジョーゴ!




彼は中々元気があります。

Tigraoとジョーゴ!



リーチが長いので気を付けて対応です。



サハリン初上陸の日本人カポエイリスタとして技を繰り出します!
こんな感じで練習終了。今回もまたいい経験ができました。

ちなみに、この日のカポエイラの後の体育館使用はまさかの剣道チームでした。

剣道の方と少し話してみたところ(この方日本語ペラペラ)、サハリンにもいくつか剣道チームがあるそうです。
(ちなみにタルタルーガは中高剣道部です)
実際に日本とサハリンの国際交流事業の一環として、ここで「日本国総領事杯」という剣道大会が行われたこともあって、
在ユジノサハリンスク日本国総領事館のHPにも掲載されています。

さらに調べてみると、地域的、歴史的背景から北海道との関係は現在も存在し、
剣道だけをみても札幌や旭川の剣道団体がサハリンを訪問し、交流を行っています。
北海道のカポエイリスタのみなさま、サハリンでカポエイラ交流いかがでしょうか?(北海道以外でもいいんですが)

Tigrao自身も昨年サンクトペテルブルクの本部で昇段して頑張っているようで、きっと快く受け入れしてくれると思います。
というわけで、

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
Большое тебе спасибо!
-------------------------------------------
サハリンでカポエイラをしてきたタルタルーガでしたが、読者のみなさま、今回の日記はいかがだったでしょうか?
まあ、ユジノサハリンスクでカポエイラはマニアックでしたね。
今までウラジオストクがロシア国内において、一番東の果てにあるカポエイラ団体だと思ってましたが、
まさかサハリンにカポエイラ団体があったことにはビックリしました。
実際に訪問することが出来て、過去の歴史背景や、日本との関係性なども知れていろいろと学びがありましたね。
今回は何故、こんな残暑厳しい季節に真冬の日記を?と思われるかと思いますが、
でも、見てて涼しくなりましたか(笑)?
・・・・・・・。
すみません、ただの言い訳でした。 単純なサボりです。
今年はいろいろと忙しくて、GWあたりに作成を頑張るつもりが疲れて遅くなってしまいました。
2021年も半分が過ぎましたが、相変わらず今年もコロナで海外旅行は出来ない状況です。
ただ世界的に見ればワクチンの普及やwithコロナの生活スタイルの定着化によって、
徐々に変化を見せつつあります。
タルタルーガ的にはとりあえずまだ日記のストックがあるので、今年も細々と消化していきたいと思います(笑)。

さて、ユジノサハリンスクにはあまり日本統治時代の建造物が残っていないと説明しましたが、
とは言っても、いくつかは残っています。

その内の一つがこちら。「サハリン州郷土博物館」です。

この建物は1937年に大日本帝国樺太庁によって、「樺太庁博物館」として建設されました。
日本時代の建築物では保存状態が良く、現在も博物館として使われてます。

残念ながらこの日は休館日なので、外観だけ。

ようやく日本らしいものが出たところで、今回は終わり。
また次回をお楽しみに!

Пока пока !
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読ませていただきました。ありがとうございました。katura「奇しくも11年前の今日」 カポエイラ結婚式 3月30日(土) 青帯 荻原さみーさん
ありがとうございます!荻原「奇しくも11年前の今日」 カポエイラ結婚式 3月30日(土) 青帯 荻原.わーステキ♡
おめでとうございます!!!!!!!さみー「赤帯アヴァリアサォン(昇段試験)」2018/07/05(木) 青帯 えんどーさみちゃん ありがとう!
細かいことは気にせずに、気軽に顔見せに来てね!久しぶりクラスもまた是非♪えんどー「赤帯アヴァリアサォン(昇段試験)」2018/07/05(木) 青帯 えんどー.わー!遠藤さん!!おめでとうございます\(^o^)/
私は何もかもを忘れてしまって練習行くの怖くなってるので、また久しぶりの人むけレッスンの開催楽しみにしてますっっ(*さみーカポエイラ・テンポに入って5年が経ちました 黄帯アヤコ.人見知りだなんて聞いたことねーぞ…!可児「花蓮巴西戦舞! Flower Sun and Rain (Capoeira in Hualien ,TAIWAN」 台湾 花蓮編 青帯TARTARUGA」.中国語の先生にカポエラのことを聞こうと思って準備して行ったら全く知らないそうな。
卡波耶拉は意味の無い音だけのあて字だと思うけど、「耶」はキリストのイメージがあalegre「母と娘と幸せのトロッカ・ジ・コルダス」 2016/07/03 緑帯 春日もしもりえさんがいなければ、メンバーにはなっていなかったと思う(笑)
一緒のお稽古の時、いつも嬉しい。
これからもよろしくお願いします!春日「母と娘と幸せのトロッカ・ジ・コルダス」 2016/07/03 緑帯 春日銀だこ食べながら読んでたのに、途中からどんどん泣けてきて困った…(>_<)
同じ親子メンバーとして、いつも頑張っている姿を尊敬してるし、励まされています。
ウチは相当なマイペー森山