2021/09/01(水)
Привет!

タルタルーガ、ユジノサハリンスクにやってきました。
みなさま、いつもながら大変ご無沙汰しております。
※ この旅行もコロナ前の話になります。
で、どこ?
って話になるんですが、

ユジノサハリンスク(ロシア語: Южно-Сахалинск)はロシア、サハリン州の州都です。

サハリン(ロシア語:Сахалин)はロシアといっても東の果て、極東ロシアに属しています。

ご存じの方も多いと思いますが、サハリンは日本名は樺太(からふと)で、戦前は南半分は日本の領土でした。
もう北海道のすぐ上です。

サハリン州の州旗なんて、もうそのまんま。 樺太と千島列島が表示されています。

日本からサハリンへの道はオーロラ航空が成田と札幌(新千歳)から直行便があり(※いずれもコロナ前)、
成田からは2時間20分、札幌からは1時間20分の飛行時間ですから、ロシアという心理的なイメージに対して随分と近いです。

過去には稚内から、コルサコフまで夏に季節運航でフェリーが出ていました(現在は運休中)。

ちなみに今回タルタルーガは、S7航空の経由便が謎に安かったので、ウラジオストクを経由してユジノサハリンスクへやってきました。


ウラジオストクでは、以前ACMBウラジオストク支部(現:Existência Capoeira)を訪問した時に仲良くなったSOL夫妻に会って一緒に食事をして、

(ウラジオストク編)

翌朝ウラジオストクからユジノサハリンスクへ向かいます。


(ユジノサハリンスク空港)

ここユジノサハリンスクですが、まずロシアの地方都市特有の殺風景な感じです。
そしてやっぱり寒い!

訪問時の3月後半の気温もこのとおり。地吹雪なんて初めて見ました。
_in1929.jpg)
ユジノサハリンスクは日本統治時代は「豊原」と言われ、樺太庁及び豊原支庁が置かれ、
日本領有下における政治・経済・文化の中心でした。現在はサハリン州の州都です。
ここでサハリンの歴史について説明したいのですが、

(樺太アイヌ)
元々はアイヌやニヴフといった北方の民族が住んでいた土地で、
近世には松前藩がアイヌとの交易をしていました。
江戸時代後期においては、間宮林蔵が幕府の命を受け樺太を探検し、樺太が島であることを確認しました。

樺太(サハリン島)とロシア本土の間にある海峡は「間宮海峡(タタール海峡)」と言われ、
北はオホーツク海、南は日本海に通じ、長さはおおよそ660km。最狭部の幅は約7.3kmほどとなっています。

(間宮林蔵)
幕末には相次ぐ外国船が通商を求めて現れたことにより、江戸幕府は樺太を天領(直轄地)とし、
秋田藩・弘前藩・仙台藩・会津藩など奥羽諸藩に蝦夷地への出兵を命じ、防衛にあたらせています。
その後は現地民族、日本人、ロシア人が混在する土地となっていましたが、、
明治8年(1875年)樺太・千島交換条約によって、樺太全島はロシア領、千島列島は日本領となります。
日露戦争の勝利の結果、南樺太が日本領になりますが、
最終的にソビエト連邦の侵攻により、第二次大戦後はソ連領となり現在はロシアが実効支配しています。

この辺りは学校の日本史で登場するあたりですね。
やはり日本に近いと、歴史上日本と関連することが多く現れます。

(ユジノサハリンスク駅)
現在タルタルーガが立っている場所はユジノサハリンスク駅前です。



実はサハリンには島内を縦断して鉄道が走っています。

南側は戦前は樺太鉄道局による樺太鉄道が走っており、終戦後はソ連に接収されて継続使用されています。

ユジノサハリンスク駅のすぐそばには「ロシア鉄道サハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)」があります。

一見普通の建物なので分かりにくいですが、2階が博物館です。

近くには蒸気機関車も展示されています。

さて、タルタルーガ博物館に入ります。


中はこんな感じで、サハリンの鉄道に関する展示物が並んでいます。

ソ連時代の物もあります。レーニンの旗。

タルタルーガ、陽気な館長さんに何故か差し棒を持たされました。

(ユジノサハリンスクはここです)

樺太鉄道にはあの宮沢賢治が大正12年(1923年)に北海道を経由して樺太(サハリン)まで至る旅の際に乗車しており、
当時の鉄道で行ける日本の北の果てであった栄浜(現:スタロドゥプスコエ)に行きつきました。
この旅は前年の冬に亡くなった妹・トシの魂の行方を探すための旅だったと言われ、
彼の代表作でもある『銀河鉄道の夜』はこの経験から着想を得たとも言われています。

(アニメの銀河鉄道の夜もおススメです)
宮沢賢治のファンであれば、一度作品を持って訪れてみてはいかがでしょうか。

(現在の栄浜)
--------------------------------------------------------

タルタルーガ、ユジノサハリンスクの街を歩いてみます。

現在のユジノサハリンスクはロシアにおいての地方都市なので、街並はいかにもロシアの地方都市です。
ソ連が侵攻した後に殆ど壊されて、実際のところ、かつての日本統治時代の面影は街を歩く限りではほとんどありません。

(旧北海道拓殖銀行豊原支店)・・・数少ない統治時代の建物。現在はサハリン州立美術館

タルタルーガ、街歩きの中でいくつかお店に入ってみます。

ロシアはこんな感じのミニスーパー的な食料品店が結構あります。

パンやお菓子、ハムとかお惣菜にお酒といったようにいろいろ売ってます。

ウォッカもこんなに並んでます。さすがロシアですね。


サハリンの横はオホーツク海ですから、いろいろな海産物が売っています。

日本に近いので、このとおり醤油とかも普通に売ってます。輸入してる分値段は高めです。

露店で売っているこれ。なんだか分かりますか?キムチです。

サハリンではキムチは一般的な食料だそうです。
というのも、また歴史の話なのですが、南樺太が日本統治されていた時代に、
同じく日本占領下にあった朝鮮から多くの朝鮮人が樺太に移住してきたんですね。
ソ連の侵攻後、日本人は全てサハリンから日本へ追放されましたが、
朝鮮の人はそのまま帰らず現地化したそうです(在樺コリアン)。
そのため現在も多くの朝鮮系のロシア人がサハリンに住んでいます。
なので、キムチが食べられているんですね。いろいろと勉強になります。

ちょっとこのデパートに入ってみます。中にはいろいろなお店があります。

中はよくある日本の古い百貨店的な造りです。

お土産屋もあります。

サハリンの形の白樺の置物とかがあります。
サハリンはそこまでの観光地ではないので、お土産屋さんは少ないです。

こんなリアルなカニの置物なんかもありました。

メイドインサハリンだそうです。(お土産にどうですか?グッティさん)
さて、サハリンはロシアの地方都市ではありますが、

「サハリン・プロジェクト」という油田・天然ガス田の開発プロジェクトが行われており、
ロシア国内だけでなく外国からの技術者や日本の石油商社も参入していて、
東の果てといっても、意外にも人の流入はあるようです。

街にはオシャレなカフェもあれば、


キレイで品ぞろえもいいスーパーもありました。
北海道のすぐ上の距離と思うと中々不思議な感じもしますね。
ぜひみなさまもサハリンに行ってみてください。
-------------ここからカポエイラのお話-------------------
このブログはカポエイラのブログですよね。
ということで、今回はサハリンのカポエイラ団体を訪問します!

タルタルーガ、今日の練習場所に向かいます。

途中ユジノサハリンスキー山脈(旧樺太山脈)近くを通り(ユジノサハリンスクはスキー場があります)、


ロシア教会を横切って、着いたのはこちらの建物。

ユジノサハリンスク市総合技術専門学校です。
今回訪問した団体はこちら。

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
URL: https://www.instagram.com/capoeira.sakhalin/
Mundo Capoeiraのサハリン・ユジノサハリンスク支部です。
Mundo Capoeiraはブラジル人「Mestre Dendê」が師事する団体で、

(Mestre Dendê)
ロシア各地に拠点を持っていて、ロシア本部はサンクトペテルブルクにあります。

ロシア国内でもサハリンとサンクトペテルブルクではもはや別の国レベルで離れてますね。
さすがロシア。広大です。

(Tigrao)
ここサハリン支部の先生はロシア人カポエイリスタTigrao。
彼はサハリン出身で、仕事でサンクトペテルブルクに住んでいて、
そこでMundo Capoeiraロシア本部でカポエイラを学び、地元であるユジノサハリンスクで支部を開いたそうです。
見た目はスキンヘッドでイカツイですが、とても穏やかな人です。
タルタルーガ、今回この団体へはウラジオストクのSOLに仲介してもらってコンタクトを取ったのですが、
Tigrao本人は謎の日本人カポエイリスタの訪問にドキドキしていたそうです(笑)。

中はこんな感じ。青色が特徴的な体育館です。
参加者は地元の少年たちや一般の方々でしたが、サハリン開発関係の英語が堪能なエンジニアの方とかもいて、
Tigraoの話だと、日本語を話すメンバーもいるそうです。
この辺りはさすが日本と関係があるサハリンらしいところですね。
さあ、サハリンである日本人カポエイリスタが初の練習に参加します!
この日の練習は準備体操から並んで基本の蹴りなど。
2人組で蹴りに対する避けといったスタンダードな練習でした。
途中、Tigraoから、
Tigrao「タルタルーガ、今日はいい機会なんで何か君の団体でやっている練習を教えてくれないかな?」
という、まさかの無茶振り。
タルタルーガ、どうしようかと考えましたが、グルーポ・テンポはCAPOEIRA REGIONAL(カポエイラ・ヘジオナウ)の団体なので、
セクエンシア(カポエイラの型)を説明することにしました。
といっても、1番~8番まであるので、とても全部は説明できないことから、

今回は1番だけを教えることにしました。

実際にやっていきます。







メイア・ルーア・ジ・フレンチからのアルマーダ、アウーに相手はカベサーダ、ホレー。

相手もやります。





結構うまく対応してくれました。


みなさんもやってもらいました。なんとか楽しんでくれたようです。
まあ、実はこういったお願いはたまにあります。技とか歌とかを聞かれるケースが多いです。
なので、外国でカポエイラをしたい方はいくつかネタを用意しておきましょう(笑)。


カメラをセットして最後はみんなでジョーゴ!


みなさん楽しんでジョーゴしてます。

タルタルーガも割って入ります。


ユジノサハリンスクである日本人カポエイリスタががんばります!

セクエンシアをやったイケイケの若者とジョーゴ!




彼は中々元気があります。

Tigraoとジョーゴ!



リーチが長いので気を付けて対応です。



サハリン初上陸の日本人カポエイリスタとして技を繰り出します!
こんな感じで練習終了。今回もまたいい経験ができました。

ちなみに、この日のカポエイラの後の体育館使用はまさかの剣道チームでした。

剣道の方と少し話してみたところ(この方日本語ペラペラ)、サハリンにもいくつか剣道チームがあるそうです。
(ちなみにタルタルーガは中高剣道部です)
実際に日本とサハリンの国際交流事業の一環として、ここで「日本国総領事杯」という剣道大会が行われたこともあって、
在ユジノサハリンスク日本国総領事館のHPにも掲載されています。

さらに調べてみると、地域的、歴史的背景から北海道との関係は現在も存在し、
剣道だけをみても札幌や旭川の剣道団体がサハリンを訪問し、交流を行っています。
北海道のカポエイリスタのみなさま、サハリンでカポエイラ交流いかがでしょうか?(北海道以外でもいいんですが)

Tigrao自身も昨年サンクトペテルブルクの本部で昇段して頑張っているようで、きっと快く受け入れしてくれると思います。
というわけで、

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
Большое тебе спасибо!
-------------------------------------------
サハリンでカポエイラをしてきたタルタルーガでしたが、読者のみなさま、今回の日記はいかがだったでしょうか?
まあ、ユジノサハリンスクでカポエイラはマニアックでしたね。
今までウラジオストクがロシア国内において、一番東の果てにあるカポエイラ団体だと思ってましたが、
まさかサハリンにカポエイラ団体があったことにはビックリしました。
実際に訪問することが出来て、過去の歴史背景や、日本との関係性なども知れていろいろと学びがありましたね。
今回は何故、こんな残暑厳しい季節に真冬の日記を?と思われるかと思いますが、
でも、見てて涼しくなりましたか(笑)?
・・・・・・・。
すみません、ただの言い訳でした。 単純なサボりです。
今年はいろいろと忙しくて、GWあたりに作成を頑張るつもりが疲れて遅くなってしまいました。
2021年も半分が過ぎましたが、相変わらず今年もコロナで海外旅行は出来ない状況です。
ただ世界的に見ればワクチンの普及やwithコロナの生活スタイルの定着化によって、
徐々に変化を見せつつあります。
タルタルーガ的にはとりあえずまだ日記のストックがあるので、今年も細々と消化していきたいと思います(笑)。

さて、ユジノサハリンスクにはあまり日本統治時代の建造物が残っていないと説明しましたが、
とは言っても、いくつかは残っています。

その内の一つがこちら。「サハリン州郷土博物館」です。

この建物は1937年に大日本帝国樺太庁によって、「樺太庁博物館」として建設されました。
日本時代の建築物では保存状態が良く、現在も博物館として使われてます。

残念ながらこの日は休館日なので、外観だけ。

ようやく日本らしいものが出たところで、今回は終わり。
また次回をお楽しみに!

Пока пока !

タルタルーガ、ユジノサハリンスクにやってきました。
みなさま、いつもながら大変ご無沙汰しております。
※ この旅行もコロナ前の話になります。
で、どこ?
って話になるんですが、

ユジノサハリンスク(ロシア語: Южно-Сахалинск)はロシア、サハリン州の州都です。

サハリン(ロシア語:Сахалин)はロシアといっても東の果て、極東ロシアに属しています。

ご存じの方も多いと思いますが、サハリンは日本名は樺太(からふと)で、戦前は南半分は日本の領土でした。
もう北海道のすぐ上です。

サハリン州の州旗なんて、もうそのまんま。 樺太と千島列島が表示されています。

日本からサハリンへの道はオーロラ航空が成田と札幌(新千歳)から直行便があり(※いずれもコロナ前)、
成田からは2時間20分、札幌からは1時間20分の飛行時間ですから、ロシアという心理的なイメージに対して随分と近いです。

過去には稚内から、コルサコフまで夏に季節運航でフェリーが出ていました(現在は運休中)。

ちなみに今回タルタルーガは、S7航空の経由便が謎に安かったので、ウラジオストクを経由してユジノサハリンスクへやってきました。


ウラジオストクでは、以前ACMBウラジオストク支部(現:Existência Capoeira)を訪問した時に仲良くなったSOL夫妻に会って一緒に食事をして、

(ウラジオストク編)

翌朝ウラジオストクからユジノサハリンスクへ向かいます。


(ユジノサハリンスク空港)

ここユジノサハリンスクですが、まずロシアの地方都市特有の殺風景な感じです。
そしてやっぱり寒い!

訪問時の3月後半の気温もこのとおり。地吹雪なんて初めて見ました。
_in1929.jpg)
ユジノサハリンスクは日本統治時代は「豊原」と言われ、樺太庁及び豊原支庁が置かれ、
日本領有下における政治・経済・文化の中心でした。現在はサハリン州の州都です。
ここでサハリンの歴史について説明したいのですが、

(樺太アイヌ)
元々はアイヌやニヴフといった北方の民族が住んでいた土地で、
近世には松前藩がアイヌとの交易をしていました。
江戸時代後期においては、間宮林蔵が幕府の命を受け樺太を探検し、樺太が島であることを確認しました。

樺太(サハリン島)とロシア本土の間にある海峡は「間宮海峡(タタール海峡)」と言われ、
北はオホーツク海、南は日本海に通じ、長さはおおよそ660km。最狭部の幅は約7.3kmほどとなっています。

(間宮林蔵)
幕末には相次ぐ外国船が通商を求めて現れたことにより、江戸幕府は樺太を天領(直轄地)とし、
秋田藩・弘前藩・仙台藩・会津藩など奥羽諸藩に蝦夷地への出兵を命じ、防衛にあたらせています。
その後は現地民族、日本人、ロシア人が混在する土地となっていましたが、、
明治8年(1875年)樺太・千島交換条約によって、樺太全島はロシア領、千島列島は日本領となります。
日露戦争の勝利の結果、南樺太が日本領になりますが、
最終的にソビエト連邦の侵攻により、第二次大戦後はソ連領となり現在はロシアが実効支配しています。

この辺りは学校の日本史で登場するあたりですね。
やはり日本に近いと、歴史上日本と関連することが多く現れます。

(ユジノサハリンスク駅)
現在タルタルーガが立っている場所はユジノサハリンスク駅前です。



実はサハリンには島内を縦断して鉄道が走っています。

南側は戦前は樺太鉄道局による樺太鉄道が走っており、終戦後はソ連に接収されて継続使用されています。

ユジノサハリンスク駅のすぐそばには「ロシア鉄道サハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)」があります。

一見普通の建物なので分かりにくいですが、2階が博物館です。

近くには蒸気機関車も展示されています。

さて、タルタルーガ博物館に入ります。


中はこんな感じで、サハリンの鉄道に関する展示物が並んでいます。

ソ連時代の物もあります。レーニンの旗。

タルタルーガ、陽気な館長さんに何故か差し棒を持たされました。

(ユジノサハリンスクはここです)

樺太鉄道にはあの宮沢賢治が大正12年(1923年)に北海道を経由して樺太(サハリン)まで至る旅の際に乗車しており、
当時の鉄道で行ける日本の北の果てであった栄浜(現:スタロドゥプスコエ)に行きつきました。
この旅は前年の冬に亡くなった妹・トシの魂の行方を探すための旅だったと言われ、
彼の代表作でもある『銀河鉄道の夜』はこの経験から着想を得たとも言われています。

(アニメの銀河鉄道の夜もおススメです)
宮沢賢治のファンであれば、一度作品を持って訪れてみてはいかがでしょうか。

(現在の栄浜)
--------------------------------------------------------

タルタルーガ、ユジノサハリンスクの街を歩いてみます。

現在のユジノサハリンスクはロシアにおいての地方都市なので、街並はいかにもロシアの地方都市です。
ソ連が侵攻した後に殆ど壊されて、実際のところ、かつての日本統治時代の面影は街を歩く限りではほとんどありません。

(旧北海道拓殖銀行豊原支店)・・・数少ない統治時代の建物。現在はサハリン州立美術館

タルタルーガ、街歩きの中でいくつかお店に入ってみます。

ロシアはこんな感じのミニスーパー的な食料品店が結構あります。

パンやお菓子、ハムとかお惣菜にお酒といったようにいろいろ売ってます。

ウォッカもこんなに並んでます。さすがロシアですね。


サハリンの横はオホーツク海ですから、いろいろな海産物が売っています。

日本に近いので、このとおり醤油とかも普通に売ってます。輸入してる分値段は高めです。

露店で売っているこれ。なんだか分かりますか?キムチです。

サハリンではキムチは一般的な食料だそうです。
というのも、また歴史の話なのですが、南樺太が日本統治されていた時代に、
同じく日本占領下にあった朝鮮から多くの朝鮮人が樺太に移住してきたんですね。
ソ連の侵攻後、日本人は全てサハリンから日本へ追放されましたが、
朝鮮の人はそのまま帰らず現地化したそうです(在樺コリアン)。
そのため現在も多くの朝鮮系のロシア人がサハリンに住んでいます。
なので、キムチが食べられているんですね。いろいろと勉強になります。

ちょっとこのデパートに入ってみます。中にはいろいろなお店があります。

中はよくある日本の古い百貨店的な造りです。

お土産屋もあります。

サハリンの形の白樺の置物とかがあります。
サハリンはそこまでの観光地ではないので、お土産屋さんは少ないです。

こんなリアルなカニの置物なんかもありました。

メイドインサハリンだそうです。(お土産にどうですか?グッティさん)
さて、サハリンはロシアの地方都市ではありますが、

「サハリン・プロジェクト」という油田・天然ガス田の開発プロジェクトが行われており、
ロシア国内だけでなく外国からの技術者や日本の石油商社も参入していて、
東の果てといっても、意外にも人の流入はあるようです。

街にはオシャレなカフェもあれば、


キレイで品ぞろえもいいスーパーもありました。
北海道のすぐ上の距離と思うと中々不思議な感じもしますね。
ぜひみなさまもサハリンに行ってみてください。
-------------ここからカポエイラのお話-------------------
このブログはカポエイラのブログですよね。
ということで、今回はサハリンのカポエイラ団体を訪問します!

タルタルーガ、今日の練習場所に向かいます。

途中ユジノサハリンスキー山脈(旧樺太山脈)近くを通り(ユジノサハリンスクはスキー場があります)、


ロシア教会を横切って、着いたのはこちらの建物。

ユジノサハリンスク市総合技術専門学校です。
今回訪問した団体はこちら。

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
URL: https://www.instagram.com/capoeira.sakhalin/
Mundo Capoeiraのサハリン・ユジノサハリンスク支部です。
Mundo Capoeiraはブラジル人「Mestre Dendê」が師事する団体で、

(Mestre Dendê)
ロシア各地に拠点を持っていて、ロシア本部はサンクトペテルブルクにあります。

ロシア国内でもサハリンとサンクトペテルブルクではもはや別の国レベルで離れてますね。
さすがロシア。広大です。

(Tigrao)
ここサハリン支部の先生はロシア人カポエイリスタTigrao。
彼はサハリン出身で、仕事でサンクトペテルブルクに住んでいて、
そこでMundo Capoeiraロシア本部でカポエイラを学び、地元であるユジノサハリンスクで支部を開いたそうです。
見た目はスキンヘッドでイカツイですが、とても穏やかな人です。
タルタルーガ、今回この団体へはウラジオストクのSOLに仲介してもらってコンタクトを取ったのですが、
Tigrao本人は謎の日本人カポエイリスタの訪問にドキドキしていたそうです(笑)。

中はこんな感じ。青色が特徴的な体育館です。
参加者は地元の少年たちや一般の方々でしたが、サハリン開発関係の英語が堪能なエンジニアの方とかもいて、
Tigraoの話だと、日本語を話すメンバーもいるそうです。
この辺りはさすが日本と関係があるサハリンらしいところですね。
さあ、サハリンである日本人カポエイリスタが初の練習に参加します!
この日の練習は準備体操から並んで基本の蹴りなど。
2人組で蹴りに対する避けといったスタンダードな練習でした。
途中、Tigraoから、
Tigrao「タルタルーガ、今日はいい機会なんで何か君の団体でやっている練習を教えてくれないかな?」
という、まさかの無茶振り。
タルタルーガ、どうしようかと考えましたが、グルーポ・テンポはCAPOEIRA REGIONAL(カポエイラ・ヘジオナウ)の団体なので、
セクエンシア(カポエイラの型)を説明することにしました。
といっても、1番~8番まであるので、とても全部は説明できないことから、

今回は1番だけを教えることにしました。

実際にやっていきます。







メイア・ルーア・ジ・フレンチからのアルマーダ、アウーに相手はカベサーダ、ホレー。

相手もやります。





結構うまく対応してくれました。


みなさんもやってもらいました。なんとか楽しんでくれたようです。
まあ、実はこういったお願いはたまにあります。技とか歌とかを聞かれるケースが多いです。
なので、外国でカポエイラをしたい方はいくつかネタを用意しておきましょう(笑)。


カメラをセットして最後はみんなでジョーゴ!


みなさん楽しんでジョーゴしてます。

タルタルーガも割って入ります。


ユジノサハリンスクである日本人カポエイリスタががんばります!

セクエンシアをやったイケイケの若者とジョーゴ!




彼は中々元気があります。

Tigraoとジョーゴ!



リーチが長いので気を付けて対応です。



サハリン初上陸の日本人カポエイリスタとして技を繰り出します!
こんな感じで練習終了。今回もまたいい経験ができました。

ちなみに、この日のカポエイラの後の体育館使用はまさかの剣道チームでした。

剣道の方と少し話してみたところ(この方日本語ペラペラ)、サハリンにもいくつか剣道チームがあるそうです。
(ちなみにタルタルーガは中高剣道部です)
実際に日本とサハリンの国際交流事業の一環として、ここで「日本国総領事杯」という剣道大会が行われたこともあって、
在ユジノサハリンスク日本国総領事館のHPにも掲載されています。

さらに調べてみると、地域的、歴史的背景から北海道との関係は現在も存在し、
剣道だけをみても札幌や旭川の剣道団体がサハリンを訪問し、交流を行っています。
北海道のカポエイリスタのみなさま、サハリンでカポエイラ交流いかがでしょうか?(北海道以外でもいいんですが)

Tigrao自身も昨年サンクトペテルブルクの本部で昇段して頑張っているようで、きっと快く受け入れしてくれると思います。
というわけで、

Mundo Capoeira в Южно-Сахалинске
Большое тебе спасибо!
-------------------------------------------
サハリンでカポエイラをしてきたタルタルーガでしたが、読者のみなさま、今回の日記はいかがだったでしょうか?
まあ、ユジノサハリンスクでカポエイラはマニアックでしたね。
今までウラジオストクがロシア国内において、一番東の果てにあるカポエイラ団体だと思ってましたが、
まさかサハリンにカポエイラ団体があったことにはビックリしました。
実際に訪問することが出来て、過去の歴史背景や、日本との関係性なども知れていろいろと学びがありましたね。
今回は何故、こんな残暑厳しい季節に真冬の日記を?と思われるかと思いますが、
でも、見てて涼しくなりましたか(笑)?
・・・・・・・。
すみません、ただの言い訳でした。 単純なサボりです。
今年はいろいろと忙しくて、GWあたりに作成を頑張るつもりが疲れて遅くなってしまいました。
2021年も半分が過ぎましたが、相変わらず今年もコロナで海外旅行は出来ない状況です。
ただ世界的に見ればワクチンの普及やwithコロナの生活スタイルの定着化によって、
徐々に変化を見せつつあります。
タルタルーガ的にはとりあえずまだ日記のストックがあるので、今年も細々と消化していきたいと思います(笑)。

さて、ユジノサハリンスクにはあまり日本統治時代の建造物が残っていないと説明しましたが、
とは言っても、いくつかは残っています。

その内の一つがこちら。「サハリン州郷土博物館」です。

この建物は1937年に大日本帝国樺太庁によって、「樺太庁博物館」として建設されました。
日本時代の建築物では保存状態が良く、現在も博物館として使われてます。

残念ながらこの日は休館日なので、外観だけ。

ようやく日本らしいものが出たところで、今回は終わり。
また次回をお楽しみに!

Пока пока !
- 関連記事
-
- 「7'Asia Capoeira Festival & 8'Batizado e Troca de Corda in Seoul, Korea」 ブラジルフェスタ裏日記! 韓国 ソウル編 青帯Tartaruga (2016/08/05)
- ヨーロッパ滞在記 (1) (2013/10/01)
- 「グッド・デイ バンクーバー - Good day Vancouver -」 カナダ バンクーバー編 青帯TARTARUGA Capoeira in Vancouver , CANADA (2020/12/31)
- 「ラスト・サムライ」 ロシアでカポエイラ ウラジオストク編 後編 青帯TARTARUGA (2014/07/28)
- 「Allez Ola Olé Allez!」 フランス パリ編 青帯TARTARUGA Capoeira in Paris , FRANCE (2020/11/08)
2021/03/20(土)

ニーハオ!
北京にやってきました
昨年からポルトガル、インドネシア、カナダときて、大分経ってしまいましたが、2021年初のレポートは中国になります。
読者のみなさま今年もよろしくお願い致します。
※この旅行もコロナ前の話になります。

北京(ペキン/英:Beijing) はみなさんご存知の通り、中国(中華人民共和国)の首都です。
.jpg)
中国の華北の中央に位置し、直轄市として人口は2171万(2015年)、中国の政治の中枢で、上海と並ぶアジア屈指の世界都市です。

タルタルーガの後ろに見えるのは、かの有名な天安門です。
天安門は故宮(紫禁城)の正門であった門であり、中国共産党の指導者、毛沢東が楼上で建国宣言した場所でもあります。

中心には毛沢東の巨大な肖像画が掲げられており、

肖像画の両側には左に「中華人民共和国万歳」(簡体字:中华人民共和国万岁)、

右に「世界人民大団結万歳」(簡体字:世界人民大团结万岁)という大きなスローガンが掲示されています。

で、タルタルーガの立っているのが、その向かい側の天安門広場。

南北880m・東西500mにわたる世界最大の広場で、

広場の中は、北から人民英雄紀念碑、毛主席紀念堂、正陽門(前門)が設けられ、
広場の西側には人民大会堂、東には中国国家博物館があります。

いやー広い。中国のこういう建造物はとにかくデカいんですよ。
さすが、13億7千万の人口を持つ国です。スケールがデカいですなあ!
さて、タルタルーガ、天安門をくぐり、紫禁城の中に入ります。

紫禁城は南北の長さ961m、東西の幅753m、面積は約725000m2。
周囲は幅52m の堀が囲み、南に午門、東に東華門、西に西華門、北に神武門があります。
「紫禁城」は中国の天文学に従い、北極星(天帝)を皇帝に擬え、地上に「紫微垣」を再現し、
世界の中心を地上に再現した領域であり、天帝に代って地上を治める皇帝の住む宮殿として建設された。
「天子は南面す」の言葉通り、北に皇帝の宮殿が置かれている。
紫禁城の由来は、天帝(創造主)が住んでいる星とされる北極星を紫微星、
北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣と呼んだのに由来する「紫宮」、
及び「天帝の命を受けて世界秩序の維持に責任を持つ皇帝(天子)」の住居たる「禁城(庶民などが自由に入るのを禁止された城)」
の二語を合わせ、紫禁城と呼んだことに由来する。 (以上wikipediaから引用)

始めに見えるのが、紫禁城の入口「午門」。
ここで入場券を購入します。
入口から大きいですね。午門をくぐります。
抜けたところに見えるのが・・・。

ドーン!

この巨大な建築物は「太和殿」といって、長さ63.96メートル、幅37メートル、面積は2,368平方メートル、高さは35.05メートルで中国における最大の木造建築物です。
いやー壮大ですねえ!
太和殿は皇帝の即位などの重要な儀礼に用いられました。

内部はこんな感じで豪華です。
ここでこの故宮一帯の歴史を言いますと、明の成祖永楽帝が1406年から改築し、清朝滅亡まで宮殿として使われていました。
清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞台となりました。
清朝は辛亥革命の結果、1912年に最後の皇帝である宣統帝が退位して滅亡します。

その清朝最後の皇帝で、後に満州国皇帝となった「愛新覚羅溥儀」の生涯を描いた有名な歴史映画が、 監督ベルナルド・ベルトルッチのアカデミー賞作品賞受賞作品、
映画『ラストエンペラー』(英: The Last Emperor)で、この紫禁城がロケ地となっています。

「愛新覚羅溥儀」
西太后による溥儀に対する清朝皇帝指名と崩御から、辛亥革命や第二次世界大戦と時代に翻弄されながら、
最後は文化大革命のさなかに一市民として死去する溥儀の波乱の人生を描いた作品です。

故宮で世界初のロケーションを行われたことが公開前から大きな話題を呼び、
観光名所として一日5万人が訪れる故宮を、中国共産党政府の全面協力により数週間借り切って撮影が行われました。


色彩感覚豊かな映像美は圧巻で、特に故宮太和殿での即位式の荘厳、華麗なシーンは映画史に残る有名なシーンとなっています。

作品の音楽には”教授”こと坂本龍一が参加しており、

本人自身も映画に出演しています。

ラストエンペラーは1987年公開と古い作品ではあるのですが、
今見てもその作品の荘厳さや内容は素晴らしいです。紫禁城を訪れる際には、事前に観ることを強くおススメします。
みなさまもぜひラストエンペラーの世界へ!
--------------------------------
さて、タルタルーガ少し北京の街を歩きます。

北京市街は碁盤の目の様に区画されています。

北京と言えば、なんと言っても世界一の人口に、中国四千年の歴史を持つ経済成長著しい中国の首都ですから、
とにかくデカい建築物が多いのですが、

(北京西駅)

(国家競技場・・・通称:鳥の巣。北京五輪のメイン会場)

(CCTV<中国中央電視台>本社)
街中には胡同(フートン)と言われる昔ながらの庶民的なエリアが多く点在されています。


最近では胡同の中にも観光地化されているところもあり、その中の一つである「南锣鼓巷(中国語:ナンルオクーシャン)」 へ行ってみました。


通りにはお店が並んでいて、たくさんの人が観光に来ています。飲食店や雑貨屋さんが多いですね。


見かけたこれは「糖葫蘆」(タンフールー)。サンザシの飴がけです。サンザシ以外の果物でもあります。

中国の露店でよく見かけます。

この見た目レトロな陶器に入った飲み物はヨーグルトです。見た目の割に味は普通です。

コチラのお店はミルクプリンで有名な「文宇奶酪店」。定番のミルクプリンはとても美味しいです。


店内はお客さんがたくさんいました。人気店のようです。

タルタルーガ、ここでお昼にしました。餃子にします。

中国は国が大きいため、多様な食文化があるのですが、北京の位置する華北は粉物文化の地域なので、
餃子はよく食べられています。日本と違って焼餃子よりも水餃子がメインですね。
ここ最近は北京の胡同観光は人気がありますので、北京観光の一つに加えてみてください。

さて、タルタルーガこの日の夜はもう一つ北京での楽しみがあります。

向かったのはコチラのお店「京尊烤鸭」。

北京ダックがリーズナブルという口コミのお店です。

北京と言ったらやっぱり北京ダックでしょう!
早速注文です。
・・・・・数分後。
北京ダック来ました!

ジャン!

一羽で2,000円くらいでしょうか。日本だったら倍はしますね。

タルタルーガ、北京ダックを食いまくります!



・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
さすがに飽きました。美味しいのですが、甘味噌とダックの油分と包む皮で結構すぐにお腹いっぱい。
残念ながら半分近く残してしまいました。
ただ、一人で一羽だとそりゃ多くて当たり前なんで、何人かでシェアしたら非常に満足度は高いと思います。
北京にきたらぜひ北京ダックを食べまくりましょう。

『京尊烤鸭』 https://minghuabj.hatenablog.com/entry/2017/07/13/130004
-------------ここからカポエイラのお話-------------------
さて、タルタルーガでも毎度のことながら北京でも現地団体を訪問します。
今回訪問した団体はこちら。

Capoeira Mandinga Beijing(北京巴西战舞曼丁加)
URL: http://capoeirabeijing.org/
Capoeira Mandingaの北京支部です。
Capoeira Mandingaは「Mestre Marcelo」が師事する団体です。

(Mestre Marcelo)
Capoeira Mandingaは上海、台湾に続いての訪問で、
このブログでも過去にレポートしています。

(上海編)

(台湾バチザード編)

向かった場所はこちらのビル。

練習場所はこのビルの2階です。



この日の先生は中国人カポエイリスタNoraさん。
この日はMandinga特有の柔軟を使った動きなんかをしました。
参加者はタルタルーガ以外は現地中国人と留学中のイタリア人カポエイリスタでした。
外国人も来るそうなので、英語で説明されます。
アジア各地の団体は結構外国人が来てるケースが多いですね。

最後はみんなでジョーゴ!



人数が少ないので、一回は長めです。

タルタルーガも割って入ります!



北京でもある日本人カポエイリスタががんばります!

Mandinga北京の主力2人がジョーゴです。


しっかりと練習しているジョーゴを見せてくれます。

タルタルーガ、Noraとジョーゴ!



独特なリズムで攻めてきます。



タルタルーガ、上手く反撃です!

こんな感じで練習終了~。今回もいい練習でした。
中国は大きい国ですが、カポエイラ団体は比較的少ないんですね。
上海、杭州、深圳や香港、マカオといった南部に点在していて、
北部は確認する限り、北京と済南くらいしかありません。
それ以外の地域は今のところ無いと思われます。
なので、華北を旅行の際には北京でカポエイラをどうぞ。

練習後は、みんなで羊スープのお店に行きました。
冬の北京は本当に寒いですから、こういうのはいいですね!
といったところで、

北京巴西战舞曼丁加 谢谢!
からの、

啊〜
-------------------------------------------
【翌日】
さて、悠久の古都北京で観光に、カポエイラに、北京ダックを満喫したタルタルーガですが、
今回の旅行にはもう一つ目的があります。

それはですね、『万里の長城(The Great Wall)』です。さすがにみなさん知ってますよね。

万里の長城は公式に発表されている長さ:21196キロ(13170マイル)で、
その東端は北朝鮮との国境近くで、反対側は内陸部のゴビ砂漠近くまであるということで、その長さが分かるのでは無いでしょうか。

ここ北京近郊にはアクセスのしやすい長城がいくつかあって、定番の観光地となっています。
というわけで、タルタルーガ、万里の長城へ行くことにしました。

いくつか長城がある中で、今回は「慕田峪長城(ぼでんよくちょうじょう) 」に行くことにします。
慕田峪長城へは北京からバスを乗り継いでいきます。
近郊の長城は日中は観光客であふれるので、早朝に出発です。

慕田峪長城に到着。
寒い!
訪問時は1月ですから確かに寒いのですが、北京自体が華北にあるので、
かなり寒いです。

なんと言ってもこの寒さ。フードしないと耳が痛いです。

長城へはロープウェーで登ります。

長城に到着。

万里の長城というとよく世界史では秦の始皇帝が作ったと言われていますが、
長城自体はもっと昔から北方の異民族の侵入を防ぐために部分部分で作られていました。
中国統一にあたって、それぞれの長城をつなげて大長城にしたのが始皇帝と言われています。
当時の長城は日干しレンガ積みの建築物ではなく、粘土質の土を固めて築いた土塀みたいな感じだったようです。
現在の長城は主に15世紀、明代に建築されたものとなっています。



読者のみなさんがイメージする通り、長城というだけにどこまでも続いております。

実に雄大です。堂々たる世界遺産。

中国のAAAAAクラスの観光地だけはあります。

さすが中国4千年の歴史。
タルタルーガ、寒くてたまらないので、長城から降ります。
さて、帰りですが・・・・・・、


まさかのスライダー!!

世界遺産にスライダーを付けてしまうとはこの斜め上の発想はすごい!
(日本で例えると、姫路城や清水寺にスライダーを付けちゃう感じでしょうか)
さすが中国4千年の歴史。
・・・・・・。

ともあれ、タルタルーガもスライダーで下山します。
今回もありがとうございました!



みなさん、さよなら~
---------------------------------------------------
さて、以上で2021年最初のレポート、北京編は終わりです。
読者のみなさまいかがだったでしょうか。
冬の北京は非常に寒いですが、華北の地らしい雰囲気があります。
北京は首都だけに歴史がありますし、
近郊にはとにかく見どころはたくさんあるので、観光は楽しいと思います。
2021年もまだコロナウィルスの影響で海外旅行の再開の兆しが見えないのですが、
再び行ける日が来たら、ぜひ北京で北京ダックとカポエイラを楽しみましょう。
また2021年もよろしくお願いします!

回见您!
- 関連記事
-
- 上海巴西戦舞! 聖誕快楽 上海編後編 青帯TARTARUGA (2014/04/11)
- 「 在旅行的路上 Capoeira Mandinga TAIWAN 2017 Batizado e Troca de Cordão 」 2017/3/25 台湾 バチザード編 青帯TARTARUGA (2017/12/31)
- Surf Trip in Bali & カポエィラ 緑帯西村 (Caranguejo) (2013/03/21)
- 「VEGAS CONNECTION - ベガス・コネクション - 」 アメリカ ラスベガス編 青帯TARTARUGA Capoeira in Las Vegas, USA (2021/12/31)
- 「Trigger the fever! -ワールドカップスペシャル- Capoeira in Seoul , KOREA」 韓国 ソウル編 青帯TARTARUGA (2022/11/23)
2020/12/31(木)

TARTARUGA , Coming to Vancouver soon........

(バンクーバー国際空港)

タルタルーガ、バンクーバーにやってきました。
これはある年の年末年始のお話です。
※そしてこの旅行もコロナ前の話になります。

バンクーバー(英:Vancouver)は、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州(BC州)に属する都市で、
カナダ国内第3位の都市圏を形成しています。
年末もギリギリまで仕事をしていたタルタルーガですが、終業後成田空港へ向かい、台湾経由でバンクーバーにやってきました。

バンクーバーは太平洋に面した港湾都市で、中心はフレーザー川の河口に位置しています。
この日は夜に用事があるのですが、その前にとりあえず空港から市内中心の間にある今日の宿泊先にチェックイン。


北米らしい郊外の一軒家の一室を借ります。

庭には、おっとリスが!

なんかカナダっぽい感じに旅の気分アップです!
---------------------------

さて、夜になってスカイトレインに乗ってバンクーバー市内中心へ向かいます。


この時期はクリスマス明けということで、向こうには大きなクリスマスツリーも見えます。

タルタルーガ、このスポーツショップの前である人物を待ちます。
しばらくすると・・・・・。
来た!

・・・・・・。
誰?
・・・・・・。
おっと失礼。読者のみなさまには説明が必要ですよね。

黄帯メンバーの神山くんです。
彼とはもう10年以上も前にテンポで知り合って長い付き合いですが、
当時青森県の大学在学中にテンポでカポエイラを初め、高速バスで練習に通うという中々の強者でした。

(青森時代の神山氏)
そして彼とは一緒に黄帯の試験を受けた仲でもあります。



大学卒業後、就職して関東に帰ってきて、練習に来たり来なかったりと断続的に参加していたのですが、
この年仕事を退職し、ワーホリでバンクーバーに留学していました。
年末の旅行を計画した時に、ちょうどカナダ行ったことなかったので、 彼を訪問することにしたんですね。

(チーム・タルタルーガで行った送別会での一枚)

この夜は神山くんに街を案内してもらい、お寿司を食べに行くことにしました。
バンクーバーで寿司?と思いますが、バンクーバーは港町のため新鮮なシーフードが採れるので、
お寿司は人気で街にはたくさんのお寿司屋さんがあります。

カナダでの生活はいろいろと新鮮な体験で、随分と楽しんでいるそうです。
たくさん海外旅行しているタルタルーガに対して、留学までほとんど海外と縁の無かった神山くんとバンクーバーにいるのは
なんとも不思議な感じではあります。

お寿司の後は神山くんのおすすめということで、なぜか一緒にカジノ行くことに。

(リバーロックカジノリゾート)

神山フィーバー!
ギャンブラー神山氏スロットでフィーバーしております。
(タルタルーガは2千円くらいを早々にスッて撤退です。)
というか、仕事終わって、日本から到着してそのままなので時差ボケで眠いです。

神山フィーバー!
神山氏爆勝ちしてます(と言っても数千円程度)
神山「タルタルーガさん!見てください!勝ってますよ!」
と、一人興奮してます。
・・・・。眠い・・。

爆勝ち神山氏(と言っても数千円程度) からオニオンフライをごちそうしてもらいました。
こんな感じでバンクーバー初日は深夜まで楽しみました。
とりあえず神山くんが元気そうで何よりです。
タルタルーガ、翌日一旦バンクーバーから離れるので、神山くんとはひとまずこれでお別れ。
次からはいつもの通り観光情報です。
-----------------------------------------------------------------------

Hello!
読者のみなさま、ここからバンクーバーの観光案内といきます。

写真は市内中心ハーバーセンター (Harbour Centre)の展望台「LOOK OUT」からの景色です。


ここからバンクーバーの景色を360度一望することができます。

バンクーバーはカナダだけでなく北米有数の産業都市でもあるので、この通りビル群もある大都会です。

ですが、見渡すに海もあり、北側は山もあって、とても風光明媚な都市です。

バンクーバーに来たらまず、この展望台に行ってみましょう。

続いて、カナダプレイス(Canada Place)にやってきました。


ここには、コンベンションセンター、ホテル、世界初めての3DIMAXシアター等があって、クルーズ客船の主要ターミナルでもあります。

見ての通り曇天で、冬ですからまあまあ寒いです。

バンクーバーはカナダ国内では温暖な気候を持つ都市の1つであるのですが(というか他のカナダの都市がどこも寒い)、

11月から3月は急激に降水量が増え、「レインクーバー」と呼ばれるほどカナダで最も降水量の多い都市です。
神山くんの話でも冬は毎日ほとんど雨だと言っていました。なので冬訪問の際にはご注意ください。

タルタルーガ、次に向かったのはカナダプレイスにあるこちらの場所。

このモニュメント見覚えありませんか?

2010年バンクーバーオリンピックの聖火台です。


バンクーバーオリンピックといえば、女子フィギュアスケートで、
キム・ヨナと浅田真央の頂上対決が思い出されます。

ちなみに聖火台として使ってた時はこんな感じ。

タルタルーガ、引き続き街中を歩きます。

バンクーバーの街中は機能的でスッキリとした街並みです。

カナダだけにメープルリーフが目立ちますね。

カナダに行った人は誰もが知ってるロンドンドラッグス。

ドラッグ以外にも食料品や雑誌、電化製品などいろいろなものが買えます。

カナダのお土産にはメープルリーフのアイテムがおススメです。


メープルシロップにキャンディー、クッキーあたりは定番ですので、カナダにきたら是非どうぞ!
----------------ここからカポエイラのお話-------------------
さて、タルタルーガ、ここまでいろいろとレポートしましたが、このブログはカポエイラのブログです。
というわけで、バンクーバーでも現地団体を訪問します。
今回訪問した団体はこちら。

Axé Capoeira Vancouver
URL: http://axevancouver.com/
Axé Capoeiraは世界的に有名なメストレ、「Mestre Barrão」が師事する団体です。

(Mestre Barrão)

向かった場所はこちらの建物。


コミュニティーセンター的な場所のようです。

先生はブラジル人Contra Mestre Osso Duro。デカいです。
この日の練習はスペースを使って蹴りからの移動とかです。

あと結構複雑なコンビネーションをやりました。






写真ではわかりにくいですが、アルマーダをケイシャーダで返してガンショで反撃を避けるみたいな感じです。

タルタルーガもやります。








こんな感じで練習終了!クリスマス休暇明けなのか、比較的軽めの内容でしたね。
参加メンバーのレベルは結構高いです。
というのも、Axé Capoeira Vancouverは世界にあるAxé Capoeiraグループの中でも中心的な支部で、
実際にバンクーバーにアカデミーアを有しています。

Contra Mestre Osso Duroから、
OD「君は日本から来たんだっけな。日本には格闘技のイベントにカポエイラ・ファイターとして参加しに行ったことがあるんだよ。」
私「へえ!そうですか。」
OD「そう、”巌流島”知ってるかい?」
私「あー。」

”巌流島”は、日本の新異種格闘技団体で、セネガル相撲とか様々な格闘技の有識者が戦うユニークな大会を開催しています。
数年前の大会で鮮やかなコンパッソで相手をノックアウトし、カポエイラ界をざわつかせた「マーカス・レロ・アウレリオ」は彼の実弟で、

Osso Duro自身も「マーカス・ヴィニシアス」として、参戦して勝利しています。(ちなみに2人はMestre Barrãoの息子)


ここバンクーバーではメストレの強力な息子2人がカポエイラの指導にあたっているんですね。
OD「日本ではいい日本語を教えてもらったんだよ。 ”タタカイニキタ!” どうだ、いいだろう?」
私「”戦いに来た!”Very Good!いいですね!」
というわけで、

Axé Capoeira Vancouver Thank you!
”タタカイニキタ!”
-----------------------------------------------------------
【-次の日-】
Hey guys!

雨です。さすがレインクーバーと言われるだけあります。しかも寒いです。

今日はノースバンクーバーに行ってみることにしました。

ノースバンクーバーへはバンクーバーのウォーターフロント駅からシーバスに乗ります。

約12分の乗船でノースバンクーバー側へ到着。

ここからバスに乗って、「キャピラノ渓谷」に向かいます。


渓谷には観光客に人気の「キャピラノ吊り橋(Capilano Suspension Bridge)」があることで有名です。

入口に到着。


入場してカッパをレンタルします。

見ての通りしっかりと森林です。
タルタルーガ、風雨の中渓谷を歩きます。

これがキャピラノ吊り橋。結構な長さです。
キャピラノ吊り橋の全長は134m高さは70m。

鋼鉄製のワイヤー製ですが、人が歩くたびに大きく揺れて足がすくみます。

高所恐怖症の方はキツイですね。この日は雨風と寒さのほうがキツかったですが。


横に突き出ているクリフウォーク(Cliff walk)にも行きます。

どうでしょう。伝わりましたでしょうか?この寒さ!(怖さでは無い)

タルタルーガ、そこそこに渓谷を観光して撤退です。

(寒すぎてホットチョコレートに群がる観光客)
帰りは入り口前からバンクーバー市内中心まで行くバスがあるので、それで帰ります。

ノースバンクーバーは地図を見ての通りすぐに山です。
渓谷を北上したところにあるグラウスマウンテン(Grouse Mountain)ではスキーも出来ます。

バンクーバーは都会でもあるのにすごく自然が近い感じがしますね。
天気が良ければ最高だと思います。ぜひノースバンクーバーにも足を運んでみましょう。
----------------ここからもう一度カポエイラのお話-------------------
タルタルーガ、バンクーバーに来るにあたって、もう一人知っているカポエイリスタがいることを思い出しました。
以前ロシアのウラジオストクに行ったときに出会ったロシア人のユリヤさん。

(ウラジオストク編)

(一番左にいるのがユリヤさんです)
この時タルタルーガは日本からでしたが、ユリヤさんはバンクーバー在住で、
ちょうどウラジオストクに住んでいる妹を訪ねにカナダから来ており、 偶然この日のホーダに来てたんですね。
というわけで、連絡をとってみたところ、今もカポエイラをやっていて、
バンクーバーの南に隣接する、リッチモンド市(英:Richmond)で練習してるとのこと。
「タルタルーガも明日の練習来る?」
とのことだったので、行くことにしました。今回もまた連日の練習参加です。
ですが、その前に今回はタルタルーガ一人ではなく、ある人間を誘います。
私「神山くん、明日のリッチモンドの練習に行かない?」

神山「大丈夫です!仕事終わったら合流して行きましょう!でも、遠いなあ」
(神山くんの家はノースバンクーバーなので正反対の場所です)
私「テンポらしさを見せてやろうぜ!」
神山「タルタルーガさんからそんな言葉が出るとは思わなかったです(笑)」
というわけで、タルタルーガ、神山のタッグがカナダで現地団体に乗り込みます!

スカイトレインとバスを乗り継いで1時間くらい。平日夜に向かうには中々の遠さです。

着いた先はこちらの建物。
「Richmond Martial Arts」という格闘技ジムです。
早めに着いたので、2人で中で待ちます。

仕事終わりで来た神山くんは空腹のため、持参のサンドイッチでエナジーチャージ。
を、しているところ、受付のおばさんから「アンタ、運動する前に食事なんかしていいの?」とツッコミが。
それに「だって空腹なんだし」と英語で返します。
カナダに行く前の彼の英語はかなりヤバかったと聞いていたので、
このワーホリ期間で成長したのかと頼もしい限り。
繰り返しますが、日本ではゴリゴリの国内営業マンだった彼とカナダでカポエイラするのは不思議な感じです。
そのうち、チラホラとメンバーがやってきました。
そして今回訪問した団体はこちら。

Axé Capoeira – Richmond BC
URL: https://richmondcapoeira.com/
Axé Capoeiraのリッチモンド支部です。
昨日はバンクーバー本部でしたが、日本の感覚で言えば、東京と横浜くらいの距離感ですかね。


中はこんな感じで、格闘技用のスペースが2面あります。


この日の先生はブラジル人Graduado Marrom。
肝心のユリヤさんというと、練習中にこんなメールが。
「ごめんなさい!車が壊れちゃって今日は行けないです。楽しんで!」
あらー。ただこういうコンタクト先が当日来ないパターンは海外カポエイラでは結構あるあるです。

ここからはタルタルーガ、神山コンビがカナダで奮闘します!
この日の練習は広がってアルマーダ、コンパッソの連続からアウーバチドゥつなぎのコンビネーションなんかでしたね。










あと、2人組でひたすらベンサォンで押していく練習もしました。


こんな感じで練習終了。年始のせいかこの日も軽めでしたね。
ジョーゴでもあったら、2人で大暴れしようかと思ったのですが、
神山くんがカナダに来てほとんど練習してないのもあって、このくらいで良かったのかも。
お疲れのところどうもありがとうございました。おかげでいつもより旅行を楽しませてもらいました。
というわけで、

Axé Capoeira Richmond Thank you!
&
Special Thanks to KAMIYAMA!
-----------------------------------------------------------
【-翌日-】

(バンクーバー国際空港)
さて、タルタルーガ、この翌日バンクーバーを離れ無事日本に帰国しました。
ですが、その前にちょっと思い出して欲しいのですが、
始めのほうに”到着日の翌日一旦バンクーバーを離れる”と書いてますね。
実は大晦日から年明けまでは、今回のもう一つの目的地に向かっています。
2020年の最後はその話でクローズといきましょう!
-----------------------------------------------------------
【-到着日の翌日(大晦日)-】

Good morning!
昨日は神山くんと深夜までカジノで遊んでクタクタのタルタルーガでしたが、

今回のもう一つの目的「オーロラ鑑賞」のため、一旦バンクーバーを離れ、カナダ北部ホワイトホースに飛びます。


今回のフライトは小型機です。

機内は結構な狭く、こんな感じ。

ですが、機内食はしっかり出ます。フルーツが美味しい。

窓の外には、雪山が見えますね。

ホワイトホースに到着。もう見渡すに雪の世界です。

ホワイトホース(英:Whitehorse)は、ユーコン準州の州都で、位置的にはアラスカの隣です。

カナダのオーロラ鑑賞ではイエローナイフが一番有名ですが、ここホワイトホースもオーロラが良く見えることで有名です。

(ホワイトホース空港)
宿のオーナーが空港まで迎えに来てくれているので、今日の宿に向かいます。

滞在中はこのコテージに泊まって、オーロラ鑑賞です。

もう見ての通り、白銀の世界。当たり前ですがメチャクチャ寒いです。
オーロラ鑑賞は2パターンあって、一つは市内に泊まって、深夜にオーロラの見えるところにツアーで行くパターンと、
もう一つはオーロラエリアにあるコテージやロッジに滞在して見る方法があります。
タルタルーガ、今回はコテージ滞在の方を選択することにしました。

コテージの中はこんな感じ。
一人用なので大きくはありませんが、北国だけに暖房はガンガンで、wifiもあるので快適です。
オーロラは深夜に出現するので、それまで時間がかなりあります。
タルタルーガ、ちょっと近くを散歩しようとコテージを出ると、

おお!キツネが!

さすが北国だけに普通にいます。ちょっと興奮です。

この宿はオーナーのいる母屋の他にいくつかコテージがあるのですが、
周囲にはオオカミやムース(ヘラジカ)が出没するそうなので、テリトリーは柵で守られています。


ホントに大自然ですね。
- その夜 -
大分暗くなってきました。
オーナーさんはとてもいい人で、夕飯はコテージまで持ってきてくれます。

シカ料理だそうです。美味しいです。
タルタルーガ、ワイルドライフを満喫です。
オーロラ鑑賞の仕方はただひたすら出現を「待つ」だけです。
出現するときはコテージのすぐ上に出るそうなんで、それまで結構ヒマです。
といっても、タイミングを見逃したら最悪ということで、

現在は「My Aurora Forecast」というアプリを使用します。
このアプリはスマホの位置情報から、オーロラの出現率を短期予測で示してくれる優れものです。
適宜チェックして、いいタイミングで外に出ればOKというわけですね。
- その日の深夜 -
タルタルーガ、とにかくアプリをチェックしながら深夜になりました。

アプリが弱めですが、オーロラをキャッチ!


(Kp値はオーロラの強さを示す値です)
Kp値4だからまあまあ強めです(最大は9)

外で待ちます。
- 年明け -

みなさん、あけましておめでとうございます。

スゲー寒いです。このままオーロラ待ちで年明けしてしまいました。
周囲は真っ暗。誰もいません。孤独感半端ないです。
しかし!そんな時、しばらく空を見ると・・・・・。
オーロラが!

(イメージ:宿提供)

・・・・・・・。
う~ん・・・・・。

雲ではないので、どうやらオーロラには間違いなさそうです。
しかし、うーん。
実際に出現率MAXだとこの宿ではこんな感じで見えるそうです。


まあ、自然が相手というのは本当に難しいです。
タルタルーガ、いろいろと観光地に行きましたが、
ベストを見るのが一番難しいのが自然です。
ただ建築物とかとは違って自然は見せる姿が常に変化するので、
それが魅力なのではないでしょうか。まあこんな日もあります。
先に言うと、翌日は全く見えず、そのままバンクーバーに帰りました。
オーロラ鑑賞にはやっぱり日数が必要のようです。
しかし、読者のみなさま、これで終わりだとつまらないので、
カナダの奥地でで、深夜に孤独にキメます!

アウーからの、

バナネイラ!

アウーバチドゥ!
-----------------------------------------
さて読者のみなさま、以上でバンクーバー編でおしまいです。いかがだったでしょうか?
オーロラは微妙でしたが、現地ではメンバーの神山くんとも会えましたし、
カポエイラもすることができました。
バンクーバー自体は街もきれいでほどほどに都会で快適で、
近郊に自然もあるという環境はとても暮らしやすい感じがしました。
実際に神山くんも訪問当時とても気に入ってると言っていました。
タルタルーガが来るまで、家族も友人も誰ひとり来なかったそうなので、
とりあえず良かったのではないでしょうか(笑)!
みなさまもコロナが落ち着いたらバンクーバーに行ってみてください。あとオーロラ。

そう、あとこれは2020年の外国でカポエイラシリーズの締めのレポートになります。
2020年はコロナで本当に今までの世界が一変する事態で、全く海外旅行が出来ない年でした。
ただその反面、今まで放置していた過去のレポートを多く書くことで、
いつかへの旅行のモチベーションを上げることも出来たのではないかと思います。
最近の様相だと、2021年もまだ海外旅行へ行くのは難しそうですが、
まだまだ過去ストックがあるので(笑)、
来年もまた外国でカポエイラシリーズをどうぞよろしくお願いいたします!
---------------------------------------------------

(仕事後に遠くまで連れ出されてクタクタの神山氏)
・・・・・・・。

またね!
- 関連記事
-
- 香港巴西戦舞! 金網デスマッチの巻 香港編 青帯TARTARUGA (2014/01/02)
- 「Edge of Asia (Capoeira in Singapore)」 シンガポール編 青帯TARTARUGA (2020/01/26)
- 香港巴西戰舞! 燃えよタルタルーガ(CAPOEIRA IN HONG KONG) 青帯Tartaruga (2015/11/22)
- 「燃えろ!オレの小宇宙(コスモ)! CAPOEIRA in Greece」ギリシャ アテネ編 青帯TARTARUGA (2014/12/12)
- 「100万$キッド」 澳門巴西戰舞(CAPOEIRA IN MACAU) マカオ編 青帯Tartaruga (2015/12/31)
2020/11/18(水)

Halo!

タルタルーガ、スラバヤにやってきました。
前回までの旅行はガッツリとヨーロッパでしたが、今回ガラッと変わってインドネシアが舞台となります。
読者のみなさま、今回もまたよろしくお願いいたします。
※この旅行もコロナ前の話になります。

スラバヤ(インドネシア語:Kota Surabaya)は、ジャワ島にあるインドネシア第2の都市で、人口約300万人の東ジャワ州の州都です。

タルタルーガの後ろに見えるのはスラバヤを代表するモニュメントで、「スロボヨ記念碑(Suroboyo Monument)」です。
スラバヤの語源はインドネシア語でサメを意味するSuraとワニを意味するBayaがこの地で最強の動物を争ったという神話に由来されています。
このモチーフはスラバヤの市章に表されています。

なかなかカッコいいですよね。

ついでに近くにいたこのアニキと一緒に撮影。
海外ではなぜか一緒に撮ろうと言われることがあります。
タルタルーガ、人気なんでしょうか!アハハハ。
・・・・・・・。
さて、タルタルーガ、スラバヤを観光します。


市内の大通りはインドネシアの大都市らしく車とバイクでごった返しております。
スラバヤは熱帯のため一年中暑いです。

タルタルーガ、こちらのある建物にやってきました。

ここは「The House of SAMPOERNA(サンポルナの家)」という名前の博物館です。

「サンポルナ」は、1913年創業のインドネシアのタバコ会社で、
ここにはタバコに関わる歴史博物館と、タバコ工場が併設されています。

この建物はオランダ植民地時代をイメージしたコロニアルなデザインとなっています。

タバコの博物館らしく、どこか独特な臭いがしますね。


インドネシアのタバコの多くは「クレテック(Kretek)」といわれるタバコ葉に香辛料のクローブが入っているタイプで、
独特の甘い香りが特長となっています。

ちなみにインドネシアではタバコが安価なのと、恐ろしいことに喫煙年齢を規制する法律が無いので若年層の喫煙も問題になっており、 喫煙率はメチャクチャ高いです。

とはいえ、インドネシアのタバコ産業は国の最大の収入源の一つとして、多くの雇用を産出しており、
クレテックタバコは国内消費だけでなく海外へ輸出され、世界の愛煙家に好まれています。



館内は中国からやってきた創始者一族の歴史とサンポルナ製のタバコに関わるものが展示されています。

こんなクラシカルな地図もあります。

(スラバヤはここです)


2階からはタバコ工場を見学することが出来ます。

訪問当日は休日だったのでお休みでしたが、
平日は稼働中の工場を見学できます。
その姿は下記の動画の通り。かなり人数が手作業でタバコを作っている光景は圧巻です。
ただ、ここまで引っ張っておいてあれですが、残念ながら今年から工場は閉鎖したそうです。
ですが、The House of SAMPOERNAはタバコに興味が無くても楽しめますし(タルタルーガはノンスモーカーです)、

オシャレなカフェも併設されていて、良さげなインドネシア料理を食べることもできるので、


スラバヤ観光ではおススメのスポットです。 当地訪問の際には是非寄ってみてください。

タルタルーガ、今回スラバヤへは日本から直行便がないので、マレーシアのクアラルンプール経由でやってきました。
羽田からの深夜便で来たためクタクタです。なので、いつもよりもいいホテルに泊まることにしました。

「フォーポイント・バイ・シェラトン・スラバヤ(Four Points by Sheraton Surabaya)」
「フォーポイント・バイ・シェラトン」は世界的なホテルチェーン「スターウッドホテル&リゾート」の代表ブランドである「シェラトン」の姉妹ブランドです。

場所はスラバヤ最大規模のショッピングモール「トゥンジュンガン・プラザ(Tunjungan Plaza)」に併設されており、とても便利です。


ロビーもモダンでキレイで、プールもありインドネシアの喧騒を忘れてリラックスできます。

部屋のフロアは21階です。

部屋は清潔で快適です。


バスルームもキレイで、アメニティも揃っています。

なんと言っても21階からの眺めがとてもいいです。

タルタルーガ、快適なホテルライフに大満足です。ヒャッハー!
ちなみにこのホテルですが、1泊5000円くらいです。
普段はアジア圏の場合は2000円~3000円くらいのホテルに泊まっているのですが、
少しグレード上げると大分快適になりますね。

「フォーポイント・バイ・シェラトン」は比較的リーズナブルなラインナップなので、ぜひ宿泊先の候補に入れてみてください。

タルタルーガ、この日は上から見下ろす男として、エグゼクティブ気分です。
アハハハ!
・・・・・・・・・・。
----------------ここからカポエイラのお話-------------------
さて、スラバヤにやってきたタルタルーガでしたが、いつものように現地団体を訪問します。
今回はある人物を訪ねにやってきました。

事前に教えてもらっていた、向かったのはこちらの建物。
1階はオフィスになっていて、練習場所は2階です。

練習時間は夜からでした。

建物横にある入り口にはCapoeiraの看板が。

階段を上って2階へ
というわけで今回訪問した団体はこちら。

Escola Cultural Zungu Capoeira Surabaya Indonesia
URL: https://www.facebook.com/ECZCIndonesia/
Zungu Capoeira Surabayaは、アペリード「KAMIKAZE(カミカゼ)」ことジョハン・イシイさんが指導している団体です。

(ジョハンさんとメストレ・トニー)
ジョハンさんはお祖父さんが日本人の日系インドネシア人3世です。
日本での留学経験もあり、現在は家業のビジネスで日本へもよく出張されています。

で、その出張の時によくテンポの練習に参加してきてくれるんですね。

よく来てくれている反面、誰もまだスラバヤには行ったことが無かったので、今回タルタルーガが行ってみることにしました。

中はとても広々としています。


マットやトレーニング機器も置いてあって、設備が充実しています。


奥の部屋には楽器とかが置いてあり、書棚にはいろいろなカポエイラの本があります。

テンポの本もこの通りありますね。

タルタルーガ、この日は早く練習場所に来てしまったので、開始まで時間がありました。
ジョハン「練習前に自分のトレーニングも兼ねてサーキットトレーニングをやっているんですよ。タルタルーガさんやってみますか?」
ということで、サーキットトレーニングをやってみることにしました。
スペース全部を使って、ポイントごとにトレーニングをします。
まずその場でスクワットジャンプをした後、一番目のポイントへ。

バトルロープです。タルタルーガ初めてやります。

これはキツイ!

続いて、ダンベル!

さらにキツイ! ヒェー!
ちなみにポイント間はダッシュで移動です。

からの縄跳び!

タイムも測るので、休む余裕が全くありません!

最後はケトルベルの上下運動。ヒィー!




※i写真はジョハンさんの撮影。
フゥ~、タルタルーガなんとか頑張ってやり切りました。
ジョハン「タルタルーガさん、写真ちゃんと撮れてますか?もう一回やりますか?」
私「いいえ!もう大丈夫です(笑)!」
タルタルーガ、練習前から既に腕がパンパンです。でもいい運動になりました。
トレーニング終って、そろそろ練習時間です。

ジョハンさんもいろいろと準備。
段々と本日の参加メンバーが現れてきました。
その中で、見覚えのあるメンバーを見つけました。

彼(Portão)は数年前日本に留学していて、その時に東新宿支部(現:笹森道場)に通ってたんですね。
ブラジルフェスタにも来ていたのを思い出しました。
私「こんにちは。スラバヤには初めて来ました。今日はよろしくお願いします。」
彼「ヨロシクオネガイシマス」
私「東新宿支部での練習の思い出とかありますか?一緒に練習した人とか。」
彼「ソウデスネー。ササモリ先生にはお世話にナリマシタ。」
「他ハ、エー・・・・・・・・・ット、セイコサン?」

(笹森先生)

(聖子さん)

日本での生活はとても楽しかったそうです。

それでは、練習の開始です。

本日の練習は準備体操から始まって、3列で前に進みながら蹴りの練習。


段々と蹴りからの動きのコンビネーションもやっていきます。

ジョハンさんが見本を見せてくれます。

タルタルーガもやります。この日はアルマーダ、コンパッソからのポンチで裏周りを練習です。







こういった技はあまりやらないので、いい練習になります。

そして二人組になって練習。
この日は特に相手の横を取る動きをしました。


メイアルーア・ジ・フレンチを蹴って、反対の行先をブロック。


そこからの反撃の対応とかをやりました。






参加メンバーは若者が多く、みなさんなかなか上手です。
インドネシアは人口約2.5億人を抱える国(世界第4位)で、平均年齢は約29歳と非常に若く(日本の平均年齢は約48歳)、
練習も活気があります。

最後はみんなでホーダです!

みなさん頑張ってます。

Portãoとジョーゴ!



タルタルーガ、スラバヤでも頑張ります!

ジョハンさんとジョーゴ!





ジョハンさんは攻撃強いです!油断できません!!

いつも来ていただいているお礼に、テンポを代表して頑張ります!



ホーダも無事終って練習終了~。練習前のトレーニングからいい汗をかきました。
Zungu Capoeira Surabayaのみなさま、突然の日本人カポエイリスタの来訪にどうもありがとうございました。
練習後はストレッチをしながら、ジョハンさんが参加メンバーに日本のテンポのこととかを話していました。
インドネシアにカポエイラが入ってきた2000年初めころは、今のような手軽にYOUTUBEとかでカポエイラ動画を見れる時代ではなかったので、
当時テンポのWEBサイトで上がっていた技動画をインドネシアのカポエイリスタたちは参考にしていたそうです。

同時に同じアジアに住む日本人が頑張っていることに非常に刺激を受けたと言っていました。

ここで日本とインドネシアの歴史を説明すると、インドネシアは長らくオランダの植民地だったのですが(オランダ領東インド) 、
太平洋戦争中に日本軍の南方作戦(蘭印作戦)によって、日本に占領されていた時代があります。
その後、日本は連合国に敗戦し太平洋戦争は終結するのですが、その際に帰国せずそのままインドネシアに残った日本兵たちがいて、
彼らはその後インドネシア独立戦争に義勇兵として参加し、独立後も帰国せず現地にそのまま残留した日本兵もいました。
ジョハンさんのお祖父さんもその一人で、インドネシアで事業を起こして成功を収めています。
中でも「乾燥糸こんにゃく」の生産は、現地では捨てられていたこんにゃく芋を加工して作られていて、日本へも輸出されています。

インドネシア国内でもイシイという名前の糸こんにゃくがヘルシーフードとして販売されています。
裏には創業者の石井正治さんのメッセージが。

こんにゃくの生産はインドネシアと故郷日本の架け橋となる事業として行っていたそうです。
そして孫のジョハンさんもその意志を引き継いで仕事をされています。

今回はここスラバヤでカポエイラを通じて、インドネシアと日本の交流が出来ました。
スラバヤはインドネシアでは大きい都市ではあるものの、メジャーな観光地ではないので、
ビジネス以外では訪れる人が少ないですが、カポエイラで交流してみてはいかがでしょうか?
ちなみにタルタルーガ、一つ気になることがあったので、質問してみました。
私「ジョハンさんのアペリード、"カミカゼ"はすごくインパクトがあると思うのですが、どんな由来なのですか?」
ジョハン「あ~、初めの帯を取るときに、何も考えずに猛突進してきて危険だからメストレが付けたんですよ(笑)。ハッハー!」
この大らかなところがみなさんから信頼されてるのではないかと思いますね。

ジョハンさん、いろいろとどうもありがとうございました。
日本のメンバーもなかなか訪問できなかったので、今回スラバヤに来れてよかったです。
コロナが収まったら、是非またテンポの練習に来てください!
-----------------------------------------------------------
【-翌日-】

(スラバヤ・ジュアンダ国際空港)

さて、タルタルーガ、スラバヤを離れ次は首都ジャカルタへ向かいます。


空港は新しく、売店ではインドネシアらしくこんなバティック(ろうけつ染)のアイテムが売っています。


ジャカルタへはインドネシアのナショナルフラッグ、「ガルーダ・インドネシア航空」で飛びます。

CAさんもバティックで、アジアンテイストが旅行気分を盛り上げます。

では読者のみなさま、次回ジャカルタ編でお会いしましょう!

Dadah!
- 関連記事
-
- Viva vacanza!イタリア カポエィラ紀行 ナポリ編 青帯TARTARUGA (2012/09/12)
- 初!外国でカポエィラ @上海 黄緑帯Pavão (2013/03/07)
- 「The スラムドッグ$ミリオネア -始まりの地- (Capoeira in Mumbai , India)」 インド ムンバイ編 後編 青帯TARTARUGA (2019/11/12)
- 「Eu sou da Bahia , De São Salvador」 -タルタルーガ、再びブラジル- サルバドール編(Tartaruga in Salvador, Brasil) 2018.9 青帯TARTARUGA (2019/08/23)
- 「O fim da terra -地の果て- 西へ!ユーラシア!」 ポルトガル リスボン編 青帯TARTARUGA Capoeira in Lisbon , PORTUGAL (2020/10/06)
2018/03/30(金)
この日も朝は7時半〜練習。
大体変わらないメンツ。
基本の蹴りと避け。もちろん腹筋も。
ただ、蹴って避けて蹴って避けて
ではなく、直ぐに反応し返す様に言われます。
とても苦手。。。
焦って蹴って、色々メチャメチャ。
蹴りの雑さを反省しているうちに、次の反応が遅くなる…
いつもの事だけど、反省が多い練習になった。
けれど、いつまでも凹んでいられません。
今日はトニー先生にアテンドしていただき、ボンフィン教会へ!
『シャワーを浴びて10:30に行くぞ!』
と言われたのに、9:30に『Vamos!!』と呼びにこられる。
9時に練習終わったのに…
早い!!!
やっぱり、いつまでも凹んでモタモタしていられない。
本当に申し訳ないが、15分程待っていただきます…
ボンフィン教会へはバスで。

トニー先生は隣に座った乗客とお話しをするのに忙しそう。
1時間程バスに揺られ…
だんだんとウトウトしてくる私の隣に忍び寄る黒い影。
・・・・・G!
ぬおぉー、、、、
隣に座っていたMaria Bonitaに最大限身体を寄せて避けてはみたものの…
安心してウトウトもしていられない。
そんな自由気ままに動き回るGに水をぶっかけるトニー先生。
なんて事をしてくれるんだ!!!!
この逃げ場のない場所で万が一反撃に飛んできたら、どうするんだ!
内心そんな事を思いつつ。
引きつった笑顔で お、、おぶりがーだ。
バスを降りた後、また随分と歩く。
とても暑いうえに、トニー先生歩くの速い。
歩きやすそうなスニーカー履いてる…
なんと…降りるバス停を間違えたらしい。
暑さに耐え切れなくなったトニー先生、途中でビールです。
私たちにも『ビール飲むか?今か、後か?』と聞かれ、
後で、と答えるつもりが、何を間違ったか『今』と答える…
その後もビール片手にスタスタと歩くトニー先生に追いつくの必死。
教会に着く頃、若干酔いがまわる、、、
なんてこった。罰当たりだ…
フィッタを買いたい、と行く前から何度も伝えていたMaria Bonita。
教会の所で買うと高いから、俺が知っている安い所で買うと良い、と言われ教会で願いを込める事が出来ず(笑)
すぐ中に入って行こうとするトニー先生を止めて、なんとか写真を撮ってもらう

教会全部入りきらず…
色々と笑える。
中に入ったかと思えば、気づいたら外に居る。
超弾丸ツアー。
眺めが良い場所があるからと、暫く歩きます。

途中、色々と説明をして下さいます。

えーと…
すみません。メモを取らず忘れてしまいました。
カポエィラ道場です。
事前学習でMestre Orelhaを知った際に見た彼の道場も、海が目の前に広がっており、似ている印象を受けたので、
Mestre Orelha…
と呟くと、
『Orelhaを知っているのか!会いたいか?会わせてあげるよ』
とトニー先生。
(残念ながら滞在期間中にお会い出来なかった事を今更思い出す)


この後も景色を楽しみつつ、ウーゴ先生のレストランへお昼ご飯を食べに。

ここでビールを飲むのが正解な気がします。

この日初めて食べた揚げたアイピン。美味しい〜。
夕方はアニーさんに誘っていただき、子供たちと一緒に私のカポエィラのあだ名:Jandaia を見に。
casa14のすぐ側の木に17:30頃になると奇声を発しながら戻ってくるらしいのです。
カツオ先生の鳥:Papacapimと、同期の鳥:Sabiáも探すチャンス!
アニーさんに、2人の鳥についても聞いてみると
(ポル語訳が合っていればですが…)
sabiáは小さくて綺麗な鳴き声の鳥
papacapimは、日本のpapacapimね、よく知っているわ〜との事
そして、みんなこの辺の木に住んでいるらしいのです。
Jandaiaは日本ではコガネメキシコインコという名前で、ネット情報では体長30センチ程と記憶していたのですが、
おや・・・???
小さい鳥らしい!
どうやら、この3羽の中ではpapacapimが一番大きく、sabiáとJandaiaの卵を割ってしまうんだとか…
(訳が合っているのか益々不安…)

ジョアオンとジュリアナも一緒に探してくれています。

残念ながら、遠目でしか見る事が出来ませんでしたが、特徴的な鳴き声はしっかり聴く事ができましたよ!
みんなが言うほど、うるさくないじゃないですか!
むしろ、鳴いていて可愛いくらいww
(自分のアペリードの鳥なので、最大限のフォローを…)
papacapimとsabiáは姿を見る事は出来ませんでしたが、同期のお菓子:Rapadura はゲット!
Rapaduraはブラジルで有名な甘いお菓子と聞いていたので、てっきりどこにでもあるのかと…
甘そうなお菓子を見つけては Rapadura? と聞いていたのですが、全く出会えず。
トニー先生にどこに売っているのか聞くと、são Joaquimに売っているよ。との事
!!!!!!
…あの迷路の中を探すのか!!
同期よゴメン、今回は諦めるよ。。。
と思っていたのですが、前日にウーゴ先生が明日仕事で行くから買ってきてあげるよ。と!!!
なんとー!!!
ちゃんと覚えていてくれて、代わりに買ってきて下さいました。ありがとうございます!!!
しかし実物見てビックリ!
Rapadura、デカイ!!重い!!!
甘いお菓子だから、少しずつ食べるんだよ。との事前情報。
見た目と形からキャラメル程のサイズを想像していたのですが…

どーん!!!
サイズ感が全く伝わらない写真ですみません…
味は同期Rapaduraからの報告を楽しみに待ちたいと思います!
とにかくウーゴ先生に感謝。
この日の夜はホーダ。
まだまだ長い1日。


なんと、会えないと思っていたMestre Bambaがホーダにいらっしゃいました。
迫力あるジョーゴを沢山見れて、
もちろんテンポの先生、生徒もみんなパワー全開で
ただただ凄いな〜と

私はというと…
録画していた映像を消してしまいたいと何度思ったことか…
竜太先生に見られたくない。とてもじゃないが、見せられない…。
ブラジルに来て何してたんだ、というか、カポエィラ始めてから何してたんだ、と思う様な本当に恥ずかしい動きしか出来ず…
何も出来ないのは分かっているけれど、それにしてもヒドイ。
毎日、毎回、反省ばかり。

Mestre Lucas(トニー先生左側)
Professor Caveira(2列目右から2番目)
Formado Tronco(2列目右)

Mestre Bambaと。
階段を降りかけていたのですが、快く撮って下さいました。腕スゴイ!!
ホーダ後はみんなでアカラジェー屋さんに行き、思い思いの時間を。
Maria Bonitaは最後の夜なので、先生方にお礼を伝えている様子。

私は、ビルーに今日来ていたACMBの方たちの事を聞いたり、
相変わらずポル語の発音をダメ出しされたり…
ヴェフメーリョ先生とメシカーノ先生には、トニー先生引率の元ボンフィン教会に行った話を笑われ、もう一度連れていってあげるよ!とヴェフメーリョ先生。
その日程を決めたり…
明日はいよいよMaria Bonita出国。
最後の日記、お願いします!
- 関連記事
2018/03/04(日)
黄帯のBarracudaです。
新年早々ブラジルへ行って来ました。
わずか5日間の短い滞在ですが、よろしければお付き合いくださいませ。

Bom dia!!!
5日目。帰国日です。
4:30に起きてシャワーを浴びたり、荷物の整理をしていたら、あっという間に出発1時間前。
最後に部屋を掃除して退室しました。
余ったお土産のお菓子と、会えなかったりバタバタしていて渡せなかった方へのお土産を整理しておきます。
1人ずつ名前を書いてトニー先生へ託しました。
お菓子を少しずつ詰め合わせてジョアォンガブリエルへとアニーに渡しました。

ジキのお見送り
最後にトニー先生とパダリーアへ。
途中で鳥が鳴いていて、「サビアーカントウだ!」と私が叫ぶと、
「違うよバハクーダ。サビアーはあの鳥だ」と教えてくれました。
サビアーは会話するように鳴くから、と鳴き真似をしてくれるトニー先生。
何てかっこいいんだろう。
急いで録画しましたが、上手く撮れただろうか。

木の枝にとまっているサビアーのシルエットが撮れました。見えますでしょうか。
今回の滞在で、私の面倒を見てくれたのは主にトニー先生でした。

先生も自分のやりたい事が沢山あったと思うのですが、時間を割いて色々な事を教えてもらいました。
私の下手くそなポルトガル語にも根気強くつき合って下さいました。
感謝してもしきれません。
最後にアニーのコーヒーをいただき、お別れのご挨拶。
アニーのコーヒーは今日も美味しかった。
伝えたいことは沢山あったけど、言葉ににできないのが悔しい。
せめて気持ちをこめてアブラッソ。
写真を撮ろうよ!と誘ってもなかなか一緒に写ってくれなかったジョアォンガブリエルも、最後に一緒に写ってくれました。

私が右手に持っているのは、トニー先生がお土産にくれたバケータです。
ビリンバウ、沢山練習しなくちゃね。
次に先生に会う日まで…。
ジョアォンは今日も大泣きしてました。
毎日のように大泣きしていた彼ですが、今日はトニー先生に怒られたからでも、
デザートが食べられなかったからでもないです。
ジョアォン。
次に会う時はもっと大きく、強くなっているんだろうなぁ。
ジョアォンのおかげでとても楽しかった。ありがとう。
空港に向かう途中、海がとても綺麗でした。

私、ここでカポエイラできてよかったなぁ。
そういう環境があって幸せだなぁ。
課題は沢山あるけど、もっともっと上手になって、
ポルトガル語で自分の気持ちも伝えられるようになって、またここに来てカポエイラしたいなぁ。
短くてもいいから。
そんな風に思いながら空港に着きました。
私のブラジル滞在日記は以上です。
貴重な経験をさせていただけた事、影で支えて下さった方、
これまでブラジル本部と良い関係を築いてきて下さった全ての方に深く感謝いたします。
「9日間の休みでブラジルは楽しめるのか」問題ですが、
私が出した答えは・・・
十分に楽しめると思います。
少し物足りないと思うかもしれないですが、きっと足りないくらいがちょうどいいんです!
帰ってきて2ヶ月近く経ちました。
今は色々新しい事に挑戦しています。
次の旅の準備はもう始まっていますから~!
Até a próxima!!!!
Barracuda
新年早々ブラジルへ行って来ました。
わずか5日間の短い滞在ですが、よろしければお付き合いくださいませ。

Bom dia!!!
5日目。帰国日です。
4:30に起きてシャワーを浴びたり、荷物の整理をしていたら、あっという間に出発1時間前。
最後に部屋を掃除して退室しました。
余ったお土産のお菓子と、会えなかったりバタバタしていて渡せなかった方へのお土産を整理しておきます。
1人ずつ名前を書いてトニー先生へ託しました。
お菓子を少しずつ詰め合わせてジョアォンガブリエルへとアニーに渡しました。

ジキのお見送り
最後にトニー先生とパダリーアへ。
途中で鳥が鳴いていて、「サビアーカントウだ!」と私が叫ぶと、
「違うよバハクーダ。サビアーはあの鳥だ」と教えてくれました。
サビアーは会話するように鳴くから、と鳴き真似をしてくれるトニー先生。
何てかっこいいんだろう。
急いで録画しましたが、上手く撮れただろうか。

木の枝にとまっているサビアーのシルエットが撮れました。見えますでしょうか。
今回の滞在で、私の面倒を見てくれたのは主にトニー先生でした。

先生も自分のやりたい事が沢山あったと思うのですが、時間を割いて色々な事を教えてもらいました。
私の下手くそなポルトガル語にも根気強くつき合って下さいました。
感謝してもしきれません。
最後にアニーのコーヒーをいただき、お別れのご挨拶。
アニーのコーヒーは今日も美味しかった。
伝えたいことは沢山あったけど、言葉ににできないのが悔しい。
せめて気持ちをこめてアブラッソ。
写真を撮ろうよ!と誘ってもなかなか一緒に写ってくれなかったジョアォンガブリエルも、最後に一緒に写ってくれました。

私が右手に持っているのは、トニー先生がお土産にくれたバケータです。
ビリンバウ、沢山練習しなくちゃね。
次に先生に会う日まで…。
ジョアォンは今日も大泣きしてました。
毎日のように大泣きしていた彼ですが、今日はトニー先生に怒られたからでも、
デザートが食べられなかったからでもないです。
ジョアォン。
次に会う時はもっと大きく、強くなっているんだろうなぁ。
ジョアォンのおかげでとても楽しかった。ありがとう。
空港に向かう途中、海がとても綺麗でした。

私、ここでカポエイラできてよかったなぁ。
そういう環境があって幸せだなぁ。
課題は沢山あるけど、もっともっと上手になって、
ポルトガル語で自分の気持ちも伝えられるようになって、またここに来てカポエイラしたいなぁ。
短くてもいいから。
そんな風に思いながら空港に着きました。
私のブラジル滞在日記は以上です。
貴重な経験をさせていただけた事、影で支えて下さった方、
これまでブラジル本部と良い関係を築いてきて下さった全ての方に深く感謝いたします。
「9日間の休みでブラジルは楽しめるのか」問題ですが、
私が出した答えは・・・
十分に楽しめると思います。
少し物足りないと思うかもしれないですが、きっと足りないくらいがちょうどいいんです!
帰ってきて2ヶ月近く経ちました。
今は色々新しい事に挑戦しています。
次の旅の準備はもう始まっていますから~!
Até a próxima!!!!
Barracuda
- 関連記事
-
- 弾丸ブラジル旅1。深夜のボストンで泣いた出発日。2018/1/6 黄帯Barracuda (2018/02/27)
- 弾丸ブラジル旅3。メストレトニーの話は尽きない2日目。2018/1/9 黄帯Barracuda (2018/02/28)
- 弾丸ブラジル旅2。初練習でごろごろ転がる1日目。2018/1/8 黄帯Barracuda (2018/02/28)
- 弾丸ブラジル旅4。戦うカポエイラについて考える3日目。2018/1/10 黄帯Barracuda (2018/03/01)
- 弾丸ブラジル旅5。ブラジルの衝撃的なお祭り。ボンフィン教会でぎゅうぎゅう詰めの4日目。2018/1/11 黄帯barracuda (2018/03/03)
2018/03/03(土)
黄帯のBarracudaです。
新年早々ブラジルへ行って来ました。
わずか5日間の短い滞在ですが、よろしければお付き合いくださいませ。
4日目。
朝5:00に起床。
何故か足の上を羽蟻が歩いていたり、
スーツケースから砂が出てきたりしますが、
細かいことはだんだん気にならなくなってきます。
今日も雨が降っていました。
今日はFesta do Bonfim というボンフィン教会のお祭りで、教会までの12キロをカポエイラしながら歩きます。
カンカンに晴れていたらそれはそれで色々大変なので良かったかもしれません。
6:30に集合だと思い、カウサカミーザを着てトニー先生の元に行ったら
『バハクーダ、起きるのが早すぎないか?出発は7:30だぞ。』と言われる。
1時間間違えた…。
数字の聞き取りができません。
7(sete)と6(seis)は、1から数えないとどっちがどっちか分からなくなります。
1から数えてもこのように間違える。
恥ずかしいなぁ。
下に降りるとアニーがいました。
今日は涼しいからちょっと歩きましょう、と。
海を見に行きます。
この海をずーっとずーっとずーーーっと遠くまで行ったら、日本に繋がっているね。
という事を拙いポルトガル語で言うと、
『私はGuerreiro(笹森先生)が大好きなんだけど、彼もジョーゴでそのような歌を歌っていたわ。』
と言っていました。
(こんなに素敵な話に対して私の脆弱なポルトガル語力では正しく理解ができているかわからず本当に悔しいんですけれど、このエピソードは合っていますでしょうか笹森先生!?)
しばらく二人で海を眺めました。
私が日本で働いたり練習したり遊んだり、笑ったり泣いたりしている時も
アニーはブラジルでこうして生活しているんだろうなぁ。
離れているようできっと繋がっているんだと思いました。
さて。
Festa do Bonfimへ行きます。
ビリンバウとパンデイロを持って、ヴェフメーリョ先生とスタート地点へ向かいます。
トニー先生は来ないらしい。

2日前に行ったラセルダエレベーター前は沢山の人で溢れていました。
みんな白い服を着ています。

ここからボンフィン教会までをカポエイラしながら行進します。
人が多すぎてすでにぐちゃぐちゃな感じ。
フラカォン夫妻、プロフェソールメシカーノ、ビルー、ブルーノ、アマンダ達と合流。
ウーゴ先生も見にきてくれました。

所々止まってホーダを作ります。
先生たちは、もちろん全開のジョーゴ。

すごい!楽しい!
道を歩けばメストレにぶつかるブラジル。
カポエイリスタは沢山います。
水を売っていた青年が突然コンプラールしたり(ヴェフメーリョ先生が何故か水の入ったバックを預かっていたりする)。
他団体のメストレがコンプラールしてきたり。
Olha o mestre aí
(そこにいるメストレを見なさい、という歌。メストレがジョーゴしてる時にしか歌わないので日本ではほとんど聞かない歌。)
を今日は沢山コーラスしました。
アマンダとブルーノは途中でビール飲んでたり。自由です。

(ブルーノは普通にジョーゴしてました。酔拳…)
私もジョーゴに出させてもらいました。
女性のカポエイリスタがコンプラールしてきた時など
『彼女は日本から来てるんだぜー!』
と先生たちが言いながら。
そして、ブラジルのお祭りは日本のように秩序があったり整頓がされた感じではありませんでした。
飲み終わったペットボトルやビールの缶はその辺に投げ捨てる衝撃のスタイルを採用していますし
(そもそもゴミ箱がないです。でも食べ物は投げ捨てない)、
警察官が交通整理をしたりとかもしない
(でも警察官はそこら中に待機している)。
日本では危ないからと苦情が殺到しそうな事も、こちらの人は受け入れて楽しんでやってる感じです。

こんなにぎゅうぎゅうでも、みんな楽しそうでした。
最後にボンフィン教会の柵にフィッタを結んで終了です。
「ここからは危ないので荷物はビルーに持ってもらいなさい」と言われ、私は手ぶらに。
ビルーもマリーシアもアマンダも、リュックサックをお腹側で持ってしっかり抱えていました。
本当に危ないんだ…。
ボンフィン教会と言えば。
しかまさんとニコちゃんの日記のように
青空の下、爽やかにフィッタを結びつけ、願いをかけて終了!
みたいな感じになるのかなーという期待をしていたんですが・・・。
しかまさんのブラジル日記です。普段のボンフィン教会はこんな感じのようです。
ニコちゃんの写真が可愛くて、私もボンフィン教会でこういう写真を撮りたい!!って憧れていました。
→http://capoeiratempo.blog121.fc2.com/blog-entry-1651.html
私が行った時はFesta中ということもあり、雰囲気ががらっと変わっていました。
残念ながら写真は撮れなかったです(これは防犯上の理由から)。

唯一撮れた写真。
遠くに見えるのがIgreja do Bonfimです。
周りに小さく写っているのは全部・・・人です(衝撃的!)
フィッタを結びつける柵の周りは人が多すぎて、酸欠で死ぬかと思いました。
10段程度の階段を30分かけて登り降りしました。
登る人と降りる人が拮抗して動けなくなり、みんな押し合いへし合い。
今誰かが転んだら、ドミノ倒し状態で大惨事になる。と思いながら、転ばないように必死です。
苦しくて死にそうになっていても、ブラジル人たちは楽しそうにニコニコしています。
正直に言うと途中で帰りたかったです・・・。
(苦しくて。)
世界平和をお祈りしようと思っていましたが、
「生きてここから帰れますように…」とわりと本気でお祈りして終了。
階段を降りる頃にはへろへろでした。
ヴェフメーリョ先生なんて、怪我してないのにカウサに血痕がついてましたからね。
どんなお祭り・・・。

ぎゅうぎゅう詰めにされて苦しかったですし、一気に日焼けしましたし、
人が多すぎて何度も迷子になりかけたり、本当に大変なお祭りでしたけど、
それ以上に楽しいことや、やりきった達成感の方が大きかったです。
あー楽しかった。
ボンフィン教会から出て、歩いてフラカォン先生の家へ。
ジュースを出してもらいました。生き返りました。
ありがとうございます。
ヴェフメーリョ先生の家に向かう途中、ビルーがパンデイロを叩きながらゆっくり歌っています。
私もこんな素敵な声で歌えるようになりたい。
コーラスを返しながら聞き入りました。
※ビルーは、日本のメンバーもよく歌う
「Santo Antonio eu quero água 」
の歌を2017年のCDで歌っています。
アカデミーアやAmazonで購入できますよ^ ^
ヴェフメーリョ先生の家でフェイジョアーダをご馳走になります。

去年の夏、ヴェフメーリョ先生が作ったくれたフェイジョアーダと同じ味。
懐かしくて美味しくて、たくさん食べました。

Casa14に戻り、ホーダまで少し時間がありました。
昼寝しようとしても、今日一日楽しすぎたのか興奮して眠れません。
アカデミーアに上がると真っ暗。犬のジキと私だけ。
歌をうたってみましたが、ビルーのようには歌えなかったです。
トニー先生にホーダはあるか聞くと、みんな疲れてるから今日はやらない、だって。
最後の日だから出たかったですが、かなり疲れていたので良かったのかもしれません。
明日は帰国の日です。
新年早々ブラジルへ行って来ました。
わずか5日間の短い滞在ですが、よろしければお付き合いくださいませ。
4日目。
朝5:00に起床。
何故か足の上を羽蟻が歩いていたり、
スーツケースから砂が出てきたりしますが、
細かいことはだんだん気にならなくなってきます。
今日も雨が降っていました。
今日はFesta do Bonfim というボンフィン教会のお祭りで、教会までの12キロをカポエイラしながら歩きます。
カンカンに晴れていたらそれはそれで色々大変なので良かったかもしれません。
6:30に集合だと思い、カウサカミーザを着てトニー先生の元に行ったら
『バハクーダ、起きるのが早すぎないか?出発は7:30だぞ。』と言われる。
1時間間違えた…。
数字の聞き取りができません。
7(sete)と6(seis)は、1から数えないとどっちがどっちか分からなくなります。
1から数えてもこのように間違える。
恥ずかしいなぁ。
下に降りるとアニーがいました。
今日は涼しいからちょっと歩きましょう、と。
海を見に行きます。
この海をずーっとずーっとずーーーっと遠くまで行ったら、日本に繋がっているね。
という事を拙いポルトガル語で言うと、
『私はGuerreiro(笹森先生)が大好きなんだけど、彼もジョーゴでそのような歌を歌っていたわ。』
と言っていました。
(こんなに素敵な話に対して私の脆弱なポルトガル語力では正しく理解ができているかわからず本当に悔しいんですけれど、このエピソードは合っていますでしょうか笹森先生!?)
しばらく二人で海を眺めました。
私が日本で働いたり練習したり遊んだり、笑ったり泣いたりしている時も
アニーはブラジルでこうして生活しているんだろうなぁ。
離れているようできっと繋がっているんだと思いました。
さて。
Festa do Bonfimへ行きます。
ビリンバウとパンデイロを持って、ヴェフメーリョ先生とスタート地点へ向かいます。
トニー先生は来ないらしい。

2日前に行ったラセルダエレベーター前は沢山の人で溢れていました。
みんな白い服を着ています。

ここからボンフィン教会までをカポエイラしながら行進します。
人が多すぎてすでにぐちゃぐちゃな感じ。
フラカォン夫妻、プロフェソールメシカーノ、ビルー、ブルーノ、アマンダ達と合流。
ウーゴ先生も見にきてくれました。

所々止まってホーダを作ります。
先生たちは、もちろん全開のジョーゴ。

すごい!楽しい!
道を歩けばメストレにぶつかるブラジル。
カポエイリスタは沢山います。
水を売っていた青年が突然コンプラールしたり(ヴェフメーリョ先生が何故か水の入ったバックを預かっていたりする)。
他団体のメストレがコンプラールしてきたり。
Olha o mestre aí
(そこにいるメストレを見なさい、という歌。メストレがジョーゴしてる時にしか歌わないので日本ではほとんど聞かない歌。)
を今日は沢山コーラスしました。
アマンダとブルーノは途中でビール飲んでたり。自由です。

(ブルーノは普通にジョーゴしてました。酔拳…)
私もジョーゴに出させてもらいました。
女性のカポエイリスタがコンプラールしてきた時など
『彼女は日本から来てるんだぜー!』
と先生たちが言いながら。
そして、ブラジルのお祭りは日本のように秩序があったり整頓がされた感じではありませんでした。
飲み終わったペットボトルやビールの缶はその辺に投げ捨てる衝撃のスタイルを採用していますし
(そもそもゴミ箱がないです。でも食べ物は投げ捨てない)、
警察官が交通整理をしたりとかもしない
(でも警察官はそこら中に待機している)。
日本では危ないからと苦情が殺到しそうな事も、こちらの人は受け入れて楽しんでやってる感じです。

こんなにぎゅうぎゅうでも、みんな楽しそうでした。
最後にボンフィン教会の柵にフィッタを結んで終了です。
「ここからは危ないので荷物はビルーに持ってもらいなさい」と言われ、私は手ぶらに。
ビルーもマリーシアもアマンダも、リュックサックをお腹側で持ってしっかり抱えていました。
本当に危ないんだ…。
ボンフィン教会と言えば。
しかまさんとニコちゃんの日記のように
青空の下、爽やかにフィッタを結びつけ、願いをかけて終了!
みたいな感じになるのかなーという期待をしていたんですが・・・。
しかまさんのブラジル日記です。普段のボンフィン教会はこんな感じのようです。
ニコちゃんの写真が可愛くて、私もボンフィン教会でこういう写真を撮りたい!!って憧れていました。
→http://capoeiratempo.blog121.fc2.com/blog-entry-1651.html
私が行った時はFesta中ということもあり、雰囲気ががらっと変わっていました。
残念ながら写真は撮れなかったです(これは防犯上の理由から)。

唯一撮れた写真。
遠くに見えるのがIgreja do Bonfimです。
周りに小さく写っているのは全部・・・人です(衝撃的!)
フィッタを結びつける柵の周りは人が多すぎて、酸欠で死ぬかと思いました。
10段程度の階段を30分かけて登り降りしました。
登る人と降りる人が拮抗して動けなくなり、みんな押し合いへし合い。
今誰かが転んだら、ドミノ倒し状態で大惨事になる。と思いながら、転ばないように必死です。
苦しくて死にそうになっていても、ブラジル人たちは楽しそうにニコニコしています。
正直に言うと途中で帰りたかったです・・・。
(苦しくて。)
世界平和をお祈りしようと思っていましたが、
「生きてここから帰れますように…」とわりと本気でお祈りして終了。
階段を降りる頃にはへろへろでした。
ヴェフメーリョ先生なんて、怪我してないのにカウサに血痕がついてましたからね。
どんなお祭り・・・。

ぎゅうぎゅう詰めにされて苦しかったですし、一気に日焼けしましたし、
人が多すぎて何度も迷子になりかけたり、本当に大変なお祭りでしたけど、
それ以上に楽しいことや、やりきった達成感の方が大きかったです。
あー楽しかった。
ボンフィン教会から出て、歩いてフラカォン先生の家へ。
ジュースを出してもらいました。生き返りました。
ありがとうございます。
ヴェフメーリョ先生の家に向かう途中、ビルーがパンデイロを叩きながらゆっくり歌っています。
私もこんな素敵な声で歌えるようになりたい。
コーラスを返しながら聞き入りました。
※ビルーは、日本のメンバーもよく歌う
「Santo Antonio eu quero água 」
の歌を2017年のCDで歌っています。
アカデミーアやAmazonで購入できますよ^ ^
ヴェフメーリョ先生の家でフェイジョアーダをご馳走になります。

去年の夏、ヴェフメーリョ先生が作ったくれたフェイジョアーダと同じ味。
懐かしくて美味しくて、たくさん食べました。

Casa14に戻り、ホーダまで少し時間がありました。
昼寝しようとしても、今日一日楽しすぎたのか興奮して眠れません。
アカデミーアに上がると真っ暗。犬のジキと私だけ。
歌をうたってみましたが、ビルーのようには歌えなかったです。
トニー先生にホーダはあるか聞くと、みんな疲れてるから今日はやらない、だって。
最後の日だから出たかったですが、かなり疲れていたので良かったのかもしれません。
明日は帰国の日です。
- 関連記事
-
- 弾丸ブラジル旅4。戦うカポエイラについて考える3日目。2018/1/10 黄帯Barracuda (2018/03/01)
- 弾丸ブラジル旅6。パワーアップして戻って来ようと思った、切ない帰国日。2018/1/12 黄帯barracuda (2018/03/04)
- 弾丸ブラジル旅5。ブラジルの衝撃的なお祭り。ボンフィン教会でぎゅうぎゅう詰めの4日目。2018/1/11 黄帯barracuda (2018/03/03)
- 弾丸ブラジル旅1。深夜のボストンで泣いた出発日。2018/1/6 黄帯Barracuda (2018/02/27)
- 弾丸ブラジル旅3。メストレトニーの話は尽きない2日目。2018/1/9 黄帯Barracuda (2018/02/28)
読ませていただきました。ありがとうございました。katura「奇しくも11年前の今日」 カポエイラ結婚式 3月30日(土) 青帯 荻原さみーさん
ありがとうございます!荻原「奇しくも11年前の今日」 カポエイラ結婚式 3月30日(土) 青帯 荻原.わーステキ♡
おめでとうございます!!!!!!!さみー「赤帯アヴァリアサォン(昇段試験)」2018/07/05(木) 青帯 えんどーさみちゃん ありがとう!
細かいことは気にせずに、気軽に顔見せに来てね!久しぶりクラスもまた是非♪えんどー「赤帯アヴァリアサォン(昇段試験)」2018/07/05(木) 青帯 えんどー.わー!遠藤さん!!おめでとうございます\(^o^)/
私は何もかもを忘れてしまって練習行くの怖くなってるので、また久しぶりの人むけレッスンの開催楽しみにしてますっっ(*さみーカポエイラ・テンポに入って5年が経ちました 黄帯アヤコ.人見知りだなんて聞いたことねーぞ…!可児「花蓮巴西戦舞! Flower Sun and Rain (Capoeira in Hualien ,TAIWAN」 台湾 花蓮編 青帯TARTARUGA」.中国語の先生にカポエラのことを聞こうと思って準備して行ったら全く知らないそうな。
卡波耶拉は意味の無い音だけのあて字だと思うけど、「耶」はキリストのイメージがあalegre「母と娘と幸せのトロッカ・ジ・コルダス」 2016/07/03 緑帯 春日もしもりえさんがいなければ、メンバーにはなっていなかったと思う(笑)
一緒のお稽古の時、いつも嬉しい。
これからもよろしくお願いします!春日「母と娘と幸せのトロッカ・ジ・コルダス」 2016/07/03 緑帯 春日銀だこ食べながら読んでたのに、途中からどんどん泣けてきて困った…(>_<)
同じ親子メンバーとして、いつも頑張っている姿を尊敬してるし、励まされています。
ウチは相当なマイペー森山